記録より記憶に残ったあの曲

まずはこちらを。

1976年3月1日付 オリコンチャート
1 1 1   およげ!たいやきくん  子門真人
2 2 3   木綿のハンカチーフ  太田裕美
3 3 2   ファンタジー  岩崎宏美
4 6 82   女友達  野口五郎
5 5 5   なごり雪  イルカ
6 4 4   恋の弱味  郷ひろみ
7 7 6   俺たちの旅  中村雅俊
8 11 11   弟よ  内藤やす子
9 9 10   めまい  小椋佳
10 10 8   立ちどまるなふりむくな  沢田研二

 わが太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」が大ヒットしていたころ、1976年3月のオリコンチャート。今見ても、錚々たる顔ぶれよね。表はちょっと見にくいけれど、頭の数字はそれぞれ、今週→前の週→その前の週のそれぞれの順位を表してます。ゴローの「女友達」、初登場82位!てのはすごいけれど、とにかくこれを見て気がつくのは、
“なんて、動きの少ないチャートなの!!!”
てことね。昨今の目まぐるしいチャートアクションを見たら、これを3倍速4倍速したみたいな感じよね。
 それでこのあと「木綿のハンカチーフ」は2位を4週、3位を4週、4位を3週キープしながらも、結局1位に上り詰めることのないまま、チャートを落ちていくことになるのね。そこから今回のテーマに入っていきます。
 そんなわけで、最近、とあるサイトで過去のチャートを見て楽しんでいる俺なのだけど、その中でモメハンみたいに“あれ?この曲1位を獲ってないのね!”というような、自分の印象とチャート成績が随分とかけ離れている曲、というのが結構あって、改めて「あ、チャートって面白いな」と思ったのね。
 それはたぶん、俺が子供の頃は、歌番組以外にも「8時だヨ!全員集合」とか「TVジョッキー」だとかバラエティ番組でも必ず「歌のコーナー」というのがあって、歌はそんなにヒットしなくてもバラエティで使える歌手なんかがインパクトある歌を披露するチャンスが沢山あって、だから何となくあの頃の流行歌ってのは、実際の売上げとはリンクしなくても結局は皆が口ずさめたりして、そんなカタチで“流行”していたのかもな?なんて思うのだ。
 そう、記録より記憶に残る歌
 例えば、森進一といえばやっぱり、な「おふくろさん」。おふくろさんこちらのオリコン最高位は13位(1971年)なのね。なんと、トップテン入りせず。売上げも22万枚とパッとしなかったこの曲が、シンイチの代表曲のようになったのはたぶん、モノマネの題材としてテレビで露出された結果なのよね。
 それから、ワダアッコが自ら代表曲として何度も紅白で歌った「あの鐘を鳴らすのはあなた」。ゴールデンタイムヘソでマイクを構えて歌う姿が(“声、でてるやろ、オレ様!”みたいで)いやらしかったわね。この曲のリリース時(1972年)の最高位はなんと53位!これは、ここだけのハナシ、内緒にしといてね(笑)。
 そんなわけで、その他にも意外な低ランクに終わっていた、今やスタンダードなあの有名曲を列挙してみるとね、

みたいな感じ。まあ、太田裕美さんはこちらの贔屓目で載せたので、ご容赦ね(笑)。当時は名曲といえども上位に食い込めなかったほどチャートの壁が厚かったとも言えるけれど、それよりもやっぱり名曲だからこそ、これらの曲たちは後々語り継がれて残ってきた、というのが正しいのかもね。
 ちなみに、レコ大を獲った曲の中では、八代亜紀雨の慕情」の最高位9位人生の贈り物、てのがちょっと意外な気もしたのだけど、今から考えればあの頃を境に、賞レースはその年の代表曲というより、事務所の意向が優先されて決まった人が獲るようになって、急速につまらなくなったんだよな、なんてことに気付いたりした。
 それから、90年代以降は「シングルベッド」(最高9位)シングルベッドとか、「涙そうそう」(最高8位)とか、瞬発力は無くてもじわじわと何年も売れ続けてスタンダードになる曲がむしろ増えてきているのも面白いよね。

 歌は世につれ、世は歌につれ。ホントにそうだよな、なんて最近思う。