同窓会

 「ゲイ」「同窓会」とくれば、あの衝撃のテレビドラマを思い出す方も少なくないと思うのだけど、今回のテーマはちょっと違うの・・・。同窓会 DVD-BOX
 先日ワタクシ、リアル同窓会に出席してきたのだ。同窓会とは言っても大学時代のサークル仲間の集まりで、ただの飲み会なんだけどね。今回はそのお話。
 俺の所属していたサークルはOB会のようなものが結構しっかりしていて、名簿なんかもちょくちょく更新されて毎年送られてきたりするのね。俺はそういうのが煩わしくて、勤め先やメールアドレスが変わってもほったらかしにしていたのだ。「過去は振り返らない」みたいに自分に言い訳してね(苦笑)。ただの面倒臭がりやなだけなのに。
 で、同期のサークル仲間はちょくちょく集まっていたらしいのだけど、俺だけなかなか連絡が取れなくて10年ぶり、みたいなカンジで。
 一週間前に仲間の一人から突然自宅に電話をもらって、今回の出席になったわけだけど、正直、当日まではユウウツで億劫でね。
 今思えば、やっぱりこの歳で結婚してなくて、たいした給料ももらってなくて、みたいな自分にどこか劣等感を抱いていたのかもしれない。

 その一方で実は俺、同窓会の連絡をもらうちょうど前日、ぼ〜っと風呂に入りながらこんなことも考えていたところだったのだ。
 “色々あるけど、ゲイである自分って、ひょっとしたら恵まれているのかもな。”なんてね。家族を養うためにムリするでもなく、趣味の延長のような感じで仕事に取り組めることとか。奥さんに財布のヒモを握られることもなく、好きなことに自由に使えることとか。この歳になっても、いつでもその気になればまだ恋愛ができることとか。自分が死んでも、最小限の人を悲しませるだけで済むことだとか(笑)・・・あ〜だこ〜だ、と。
 だから、同期の仲間に対しては、いまだ独り身であることの後ろめたさ(劣等感)を感じながらも、家族を持たないがゆえに人生を謳歌して、そこはかとない幸福を感じられている自分も見せたい、つまりはそんな相反する気持ち(矛盾)を抱えながらの同窓会出席、だったわけだ、実を言えば。
 そして同窓会当日、会場の居酒屋で10年ぶりに会った懐かしい面々・・・ブクブク太ったヤツ、白髪交じりのヤツ、すっかり剥げちゃったヤツ、一見あの頃と変わらないアイツ(よく見ればやっぱり額や目尻に確実にシワを刻んでる)・・それから、頭は薄くなって最近トミに腹が出てきた俺。でもいざ話をし始めると、そんな40代のオッサンがみな、急に20代のあの頃に戻ってしまう不思議。そうそう、アイツはこんなヤツだったよな。変わってないな。あ、俺アイツのこんなトコがキライだったんだな。コイツも変わってないよな。イイ思い出もイヤな思い出もアッという間に急速解凍されて目の前に甦ってくる。あの頃のまま。

 そんな中ふと俺は気付いたのだ。誰も、今のことをしつこく訊いてこないし、自分の身上話を必要以上に話すこともしない。他愛ない思い出話ばかり。そう、意識し過ぎていたのは自分なんだ、とね。ゲイである自分とか、一方で真っ当で充実した人生を歩んでいるであろう彼らとか。彼らと自分との対比。そう、あの頃も、大人になった今も、小さなことをいちいち比較して、優劣とか正常か異常かを意識していたのは自分で、そこだけは何も変わっていなかったのだと。
 “まだ結婚してないのかよ。”“結婚していないけど、仕事も私生活も充実してるよ。”そんな会話が出ることを頭の中でシミュレーションして、負け惜しみと思われないように態度や振る舞いまで意識していた俺が、そのことに気付いたとたん急に情けなく思えてきて。
 結局、同窓会の集まりというものは、それぞれの“今”を根掘り葉掘り訊くようなことではなく、思い出話を楽しんだり、何より“あの頃の雰囲気”を皆で味わえればそれで良いのだ。その意味で俺は、あの頃のままの、人づきあいが下手でクソ真面目でプライドだけは高い、矛盾だらけな自分としてそのままあの場に居ればよかったわけだ。実際、飲み始めてすぐに、そんな自分になっちゃったし(苦笑)。


 人間に優劣なんてない。その人その人の人生があるだけ。そしてそれぞれの人生の中で人と人の出会いがあるだけ。
 幸福になるために自分自身を成長させることは大切。だからと言って過去を否定する必要はない。だいいち、自分の本質はそうは変わらないし。。。だから、ゲイだノンケだ、といちいち意識しすぎるのはもうやめるかって?いいえ、やめない!それが、カッコ悪いけれどいままで自分が頑張ってこれた原動力でもあるから。
 そんな当り前のことに、同窓会に出たことで改めて気付かされたのだ。
 40代も後半戦だけど、今年もまた頑張ろうかな。新年早々、同窓会をキッカケにそんなことを思えたのはシアワセなことだろう、きっと。