震災後1週間

 何もかも失い、今も被災地の避難所で過酷な環境のなか、じっと耐えている人たちがいます。
 福島の原発では、身の危険を顧みず、国家の危機とも言える非常事態に勇敢に立ち向かっている人たちがいます。
 そして私たち。紙一重で生き残った首都で、計画停電のもとで生じた交通トラブルや、ガソリンが手に入らないことに(多少の)不便さを感じながらも、もっと頑張っている人、つらい思いをしている人がこの国の中に大勢いることに思いを馳せ、やもすると口をついて出そうになる不平不満をじっと堪えています。
 「欲しがりません勝つまでは。」まさに挙国一致の戦時体制です。それほどの国家的危機を迎えているのは間違いないのでしょう。
 そしてこの悲劇をきっかけに、バラバラだった日本人の心が少しづつ、ひとつになってきているような気がします。(残念ながら民間レベルだけの話ですけれども。。。お国のトップはこんな時でさえバラバラで、やることは支離滅裂です。どうしようもない。)電話が全くつながらなかったアノ日、私たちは家族や恋人の安否が確認できないことによって、どれほど不安な気持ちが掻き立てられるのか、それを痛いくらい経験しました。愛する人が隣にいてくれることの“あたりまえ”がどれほど貴重なことであるか、今なら誰もが少しは感じているのではないでしょうか。
******************************
 東京に住む私たちは幸い大きな被害は免れましたが、今回の震災で色々なことを学べたように思います。(少なくとも、私は学んだのです。)
 都心の夜は照明が落ち、華やぎがなくなりました。しかしそれは、私たちが生活する上では驚くくらい、全く影響がないものでした。今まで一体、夜というものをどれほど無駄な明るさで過剰装飾してきたのでしょう、わたしたちは。
 電力使用を抑えるための通勤電車の間引き運転。当初は大混乱でしたけど、最近は多くの路線が平日も休日ダイヤを基本とした運行に切り替えてくれましたので、いざ発着時刻が固定されれば、空(す)いている時間帯の時差通勤によって、混雑はある程度切り抜けられることを学びました。そう、電車にしても今まであれほどの過密ダイヤで走らせる必要はなかったのかも知れません。
 そんなこんなで、一瞬の華やぎと便利さとに惑わされて、地震国が持つにはキケンすぎる原子力発電所を狭い国土のあちこちに造ることを許してきてしまった私たちであったこと。それを少しは勉強、できたのではないでしょうか?
 ところで。
 今回、原発の被害拡大が何とか食い止められたとして、そのために最前線で懸命に活動してくださった自衛隊・消防士・作業員の中に後日、万が一不幸にも健康被害が出てしまったとしたら、そのときに私たちはどうするのか?
 答えは「その犠牲・教訓を生かしてもっと安全な原発をつくる。」ですか?・・・いえいえ、マスコミの隠蔽と世論誘導によって、いかにもそうなりそうなのが、私はとても怖いのです。
 そうではなく、「もう、原発はいらない。」私はそう、言いたい。だって、多少照明が暗くても、電車が混んでも、きっとガマンできますもん!
******************************
 最後に、被災された方々にこの1曲を贈りたいと思います。

きっと幸福に できると思ったら
車を走らせ 迎えに行くよ
だから今は 泣かないで
強く生きて ほしいのさ
はなればなれも その日のためさ


たとえその日が遠く 淋しい毎日でも
いつか必ず来るよ
悲しみ忘れられる明日が


  「幸福(しあわせ)への招待」 (作詞:阿久悠