震災後考えたこと〜ゲイとして

 東日本大震災から1ヶ月以上が経過しました。
 あきらかな人災としての原発事故とその後処理のまずさに、東京電力という会社とそれを後押し(癒着)してきた政府に対して怒りを感じながらも、関東に住み原発の恩恵に預かっていた一人としては、住む場所を追われた福島の避難者の方々に、申し訳ない気持ちで一杯です。
 東京電力の上層部は記者会見などを見た限り、この期に及んでも補償の負担をいかに軽くし、会社を・自分たちが生き残るか、そればかりを優先的に考えているようにしか見えません。もちろん、東電だけで補償できない分を私たちが納めた税金から補填することや、事故処理や今後の電力安定供給に要する費用を電気料金の値上げによって賄う、ということになったら抵抗を感じるけれども、いわば私たちの生活の犠牲になったのかもしれない福島の避難者の方々や、過酷な現場で日夜、原発事故処理に当たっている作業員の人々を思うと、振り上げた手をおずおずと下ろさざるを得ません。その辺が、何だかとても辛いし、悔しい。その前に、ずらっと雁首揃えた東電の重役たちは例外なく責任を負って退職金を返納して辞任すべきだと思います。「地震のときにたまたま重役だった俺は不運だよ。」そんな呟きが聴こえてきそうな“お役人体質”をなんとしても排除してほしい!
 
 あら、ちょっと熱くなってしまいました・・・以上、前置きです。ごめんなさい。
 
 さて、本題。今回の大震災で、いざというときのことがすごくリアルに想像できるようになりましたよね。携帯が役に立たないこととか、帰宅難民とか、液状化とか、テレビで見聞きしていたことが、全部現実に起きた。生き残った私たちは、その教訓を今後、しっかりと自分のものにしていかないといけない、そう思います。
 ゲイの私が一番感じたことは、例えば休みの日に一人でブラッと出かけたとして、そこで災害に遭って命を落としたとしても、私の場合、行方不明者リストにもなかなか載らないだろうな〜という哀しい現実があるということ。私は独り暮らしで、近しい親戚も僅かですから、もし何かがあった場合、当面は私の身の安全を気にかけてくれる人が凄く少ないのだろうな、と思うのです。
 そういえば、あの人、最近、見ないね。
 風のように消えてしまって、そんな風に言われるのなら、それはそれで本望でもありますけれど(強がり半分で)、どこでどんな風に亡くなったのか、その痕跡でも残しておかないと、却ってあとで回りのひとに迷惑をかけるかもしれない。ですから私は、プラっと遠出する場合でも、これからは必ず誰かにメールしておこうと、いまは思っているのです(それはそれで詮索されたり、羨ましがられたり、面倒ですけどね 笑)。
 あと、幸い生き残って避難所に入ったとして、きっと居場所がないだろうな、ということもリアルな想像としてあります。私、普段から近隣とはそこそこうまくやっているとは思うんですが、いざとなって、避難所でプライバシーもないままそういった人々の中で数ヶ月も暮らすとなると、きっと凄く辛いだろうな、と。なにぶん私の場合、独り暮らしが長すぎて、プライバシーがない生活なんて、ありえないのです。
 おそらく、身軽なところを活かして炊き出しや物資の配布など、避難所のお手伝いで気持ちを紛らすしかないでしょうね。それはそれで、同じ避難者でありながら、心無いクレームなどを言われることは目に見えていますから、ストレスは溜まるばかりでしょうけど(苦笑)。
 それと、とても不謹慎ですけど、1ヶ月も避難所暮らしをしていたら生理的欲求として、無精髭で一生懸命に動きまわっている行政の人たちや自衛隊員なんかに、思わず目を奪われてしまうという、ゲイとしての哀しい性が出てくることも容易に想像できることで、そんなとき、そんな自分に一体どう対処するのか。こればかりはわからなくて、不安なところです(苦笑)。
 いずれにしてもゲイとして一人の人間として、普段からの人とのつながり、好む好まざるとに関わらず、これからはそれを大事にしていかないといけない、震災を通じてそう思いました。平凡な結論かもしれませんが。