「脱原発」でいいんじゃない?-2

 このところ、聖子さんの話題と原発の話題を交代で書いている感じですね(笑)。
 先日、法事で久しぶりに会った兄が、原発のことを話題にしまして。でも最後にはこんなことを言うもんですから。。。
「そうはいっても原子力は一番コストがかからないクリーンな発電だしね。」
(完全にマスコミに騙されちゃってる!)私は思わず食ってかかってしまいました。
「使用済み核燃料の処理のために何年もプールで冷やし続けて、その挙句に地中深くに埋める、そのコストを度外視してるから安く見えるだけなんだよ!」「それにね、いざ事故になってこんなに放射線物質をバラ撒くくせに、どこがクリーンなんだよ!」てね。
 私のあまりの剣幕に、兄もただびっくりするばかりでした(苦笑)。
 
 電力会社からしこたま広告料を受け取っているマスメディアは、彼らにとって都合の良い報道しかしないのです。今は、あえて“穿った目”で原発報道を見ていく必要があると思うのです。

 ネットプロバイダーのトップページでは「電気予報」が刻々とエリアの電力使用量を知らせています。
 ここ1週間ほど、台風の影響で涼しかったこともあって電力使用率は日中でも80%を超えることは滅多になく、夜ともなると50%程度になることもしばしばです。
 おかしいのは、あれほど電力が足りない足りないと大騒ぎしていたのに、いくら涼しいと言ってもここ数日は真夏日であるにもかかわらず、依然として使用率が低いまま推移している事です。
 そう、原発なんて、もともと、全部止まっても大丈夫なんですよ!
 私が想像しているシナリオはこうです。
 おそらくこれは、単純な菅さんが東電の“停電するゾ!”という脅しに大慌てして、産業界に15%の省電を義務付けたことが大きいのだと思います。そうなれば大企業は自家発電はするし残業カットするし輪番休業するしで、あらゆる知恵を絞って省エネに動きますから、総電力使用率が下がるのは当たり前でしょう。家庭のチマチマした節電なんて、比べ物にならないはずです。もともと、やればできる、ということだったのかもしれません。むしろこれまで、過剰な電力供給のおかげでそこに目がいかなかったという、それだけなのかもしれません。
 多分、いま大慌てなのは東電とその周辺にうごめく原発推進派の輩に違いありません。脅しのつもりで電気予報なぞ始めてしまったことで「鶴の一声」効果による省電が予想以上に進んでいることが手に取るように明らかになってしまい、図らずも“原発なしで乗り切れる”ことが一般大衆にバレてしまったわけですから“こんなはずじゃなかったのに、あわてん坊の菅の奴め!”と苦虫を噛んでいるのかも知れませんね。
 
 そうそう、原発は決してクリーンな発電なんかじゃない!!の補足です。
 原発は運転し続ける限り、使用済み核燃料という、手に負えない廃棄物を産み続けます。それは使用済みとは言っても超高温状態にあり、放っておくとすぐに核分裂を繰り返して再臨界を招く危険があるため、数年にわたり冷やし続ける必要があるそうです(福島第一原発4号機の燃料プールがそれですね)。それを冷やすためにもまた電力が必要という効率の悪さ。そして冷却に使った高温水はそのまま海にタレ流され、沿岸の海中生物の生態系を壊すばかりか、海水温を上昇させて地球の温暖化に一役買うわけです。
 それに恐ろしいことに、そうした使用済み核燃料はかの六ヶ所村ではとても処理しきれず、その多くは仕方なく各原発に保管されたままであり、それもあと10年たたぬうちに満杯になるという話もあるのです。つまり、廃棄物処理が出来ずないことで、いずれにせよ原子力発電は行き詰まる可能性があるという。。。
 
 いまこうしている間にも頭上から降り注いで土壌や河川を汚染し続けている放射性物質。牛肉の、腐葉土の、汚泥の汚染がそれを証明しています。セシウムによる内部被爆の人体実験を私たちはさせられているのと同じなのですね、きっと。
 やはり原子力というものは私たち人類の手には負えないものなのではないでしょうか。
脱原発」。しつこいですけれど、これしかないと思うのです。