“女優の余裕”オトナの歌謡曲、世界へ〜由紀さおり『1969』

1969

1969

 良い音楽って、プレイする方も聴く方も、心に余裕が必要なのだな、って思う。
 この由紀さおりさんの素晴らしい新譜『1969』を聴いてそう思った。
 ぶったまげの充実作だった歌手デビュー40周年盤『いきる』からまさか2年を待たずに、由紀さんがまたこんなに素敵なアルバムをリリースしてくれるなんて、ホント奇跡のようで、感謝カンゲキの私です。
 おまけに本作、世界20ヶ国以上でリリースされるというハナシ。歌謡曲歌手として、いいえ!日本の歌手としてもまさに「快挙」なのです。還暦を超えて(失礼!)こんなスゴイ事をしている由紀さんなのに、それを全く話題にしない日本のマスコミ人の目は“節穴”ね、まったく。
 競演は、アメリカ・オレゴン州で結成された知る人ぞ知るジャズ系イージーリスニング・オーケストラ、PINK MARTINI。もともとは由紀さんのセカンド・シングル「天使のスキャット」のB面「タ・ヤ・タン」を彼らがカバーして話題になったことがきっかけで、廻り廻って今回のコラボが生まれたということなんだけど、PINK MARTINIのリーダーであるトーマス氏は由紀さんを「日本のバーブラ・ストライザンド」と呼ぶほどに彼女のボーカルに惚れ込んでいるとのこと。うん・・・バーブラね。確かに絹のような歌声は共通してるかも。でも顔は一緒にしないでほしいわ(笑)。由紀さんの方が全然上品だもの。
 冗談はさておいて、すでに10月21日にロンドン「ロイヤル・アルバート・ホール」で行われたPINK MARTINI公演に由紀さんが客演して大絶賛を浴びたというニュースも入っていて、このアルバムのこれからの評価が楽しみなところ。
 アルバムコンセプトは、由紀さんが「夜明けのスキャット」でデビューした年「1969年」に流行していた内外のヒット曲をリ・アレンジして今の円熟した由紀さんのボーカルとPINK MARTINIのゴージャスなサウンドで蘇らせようというもの。今まで無かった斬新な視点が素晴らしいのよね。曲目は「ブルーライト・ヨコハマ」(いしだあゆみ)、「真夜中のボサノバ」(ヒデとロザンナ)、「夕月」(黛ジュン)といった正統派歌謡曲はもちろん、フランス語で歌うフランシス・レイの「さらば夏の日」をはじめ、ピーター・ポール&マリー「パフ」、セルジオ・メンデスでヒットした「マシュ・ケ・ナダ」などまさに世界を股にかけた選曲。それも「さらば夏の日」以外は何とバリバリの日本語訳詞!その開き直りがまた爽快なのよね。
 ペギー・リーのカバー「イズ・ザット・オール・ゼア・イズ?」なんて、半分は“女優・由紀さおり”の“語り”なのだけど(もちろん日本語)、この語りがとてもドラマチックというか、凄みさえ感じさせる会心の出来栄えで。
 そう、余裕、ってそういうことなのよね。本当に、どんな音楽も自分のものにして、それを心から楽しんでいる由紀さんがそこにいる気がする。“海千山千”に違いないPINK MARTINIメンバーに気後れすることもなく、リラックスしてセッションを楽しむことができる心の余裕、ね。これは歌手として・女優として、40年以上のキャリアを重ねて今なお現役の彼女だからこそできる技であって、商業ベースに乗ってセールスに一喜一憂している(せざるを得ない)ポッと出のアーティストかぶれたちでは、逆立ちしても敵わない境地だと思うのね。
 もうひとつ別の面から見れば、これは歌手でありながら名女優という別な顔を持つ由紀さんだからこその“遊び心のなせる業”と言えるのかも。女優としての存在感・演技力という、加齢に伴う歌声や容姿の衰えをカバーして余りある「表現手段」を身に付けているからこその、心の余裕みたいなものね。
 例えばこのアルバム4曲目「パフ」で聴かせる低音の老婆のような声は、リーダーから「マレーネ・デートリッヒのカバーの、語るようなイメージで」とリクエストされてのものだそうで、それに見事に応えてリスナーの耳を奪う由紀さんがいる。そんな遊び心に溢れた12曲は、どれもスタンダードソングながらバラエティに富んだアプローチばかりで、決して聴く者を飽きさせないのよね。本当に贅沢な気分にさせられる。俺もこの歳になってようやく、こんな素敵なオトナのアルバムを聴ける心の余裕が多少なりとも出来てきたことに、思わず感謝したくなってしまう。そんな作品。
 

 さて最後に少々脱線しますけど、由紀さん以外にも、同じく女優ならではの遊び心に溢れた、hiroc-fontanaオススメの“心リッチ”なアルバムを紹介して今回のエントリーを閉めたいと思います。
 まずはサブ・タイトルに「歴史的名盤」なんて付いちゃってるのがちょっと恥ずかしい、イイ女の代名詞だった頃のいしだあゆみさんが1977年リリースした『アワー・コネクション〜いしだあゆみ&ティン・パン・アレイ・ファミリー』。アワー・コネクション
全編に“シティ・ガール(ふるっ!)の孤独感”が溢れた、オシャレな名盤で、作・編曲を細野晴臣さんと萩田光雄さんが分け合っているあたりも俺としてはツボです。
 
 もう一枚は夏木マリさんがピチカートの小西さんとコラボした1996年の作品『9月のマリー』。9月のマリー
こちらは渋谷系のCDショップを中心に結構売れて、このコラボはその後も何枚かリリースされたのだけど、俺はこの初作が好き。ソウル・ボッサトリオによるジャジーなバッキングに説得力あるマリさんの魔女声が見事にハマって、昔のヨーロッパ映画を見たようなリッチな気分にさせてくれる名盤です。