孤独・友人・幸福

 年の瀬を迎え、何かと慌しい毎日。忘年会シーズンでもあり、人と会う機会が多くなる季節です。
 滅多に会うことのない友人もこの時期になると突然電話をかけてきてくれたりして、普段は交際範囲の狭い独り者の私としては「ああ、こんな自分でもいつの間にいろいろな人と繋がっていたのだな。有難いな。」なんて、しみじみと思える季節でもあります。
 私の場合で言えば、実はここしばらく、クリスマスもお正月も、あまり寂しい思いをしたことがありません。世間一般に“中年独身者”が確実に増えていることもあって、ゲイ・ストレート・老若男女(笑)を問わず、連絡さえ取り合えればそんな「イベントシーズン」を一緒に過ごせる友人には事欠かないのです。ありがたいことです。
 寂しいもの同士のもたれ合い?あるいは傍から見れば、傷の舐めあいのように見えるかもしれませんね。でも私には、若いころの自分を振り返れば、気の置けない友人たちと年末年始を過ごすことができる今の自分が本当に信じられないことで、この“時代”に感謝、というより何だか申し訳ないくらいの気持ちになるのです。こんな風に思える私はきっと、幸せ者なのでしょうね。
 今年は東日本大震災という未曾有の災害がこの国を襲い、津波に全て持っていかれてしまった被災地の惨状を目の当たりにして、自然の脅威に対しての人間の無力さとともに、モノを持つということの虚しさ・儚さを誰もが思い知らされました。いくら必死にお金を稼いで蓄えても、それはせいぜい今生限りの、つかの間の夢に違いないのです。
 そしてその一方で私たちは、命というものが何より貴いものであり、その命の繋がり(=絆)が私たち人間を最後は支えてくれるということを感じた一年でした。またその過程では獲得すること(奪い合うこと)に血道を上げるより、持てるものをまず与え合うということの尊さが際立って見えた一年でもありました。
 さて、ところでそんな私の友人たち。普段はほとんど連絡もしないし、会うこともない。お互いの近況を知ることを口実に、年末のこの時期だけ連絡を取り、会って愉快な時間を過ごしながら、実はその裏でお互いの繋がりを確認し、寂しさを紛らわす糧にしている。そんな関係のように思えるのです。
 私たちの関係性を理想的に表現したような中島みゆきさんの名曲がありまして、その詞を紹介して今回の記事を締めようと思います。遠くて・近くて・遠い、不思議な関係の、でもとても大切な私の友人たちに感謝を込めてこの詞を送りたいと思います。

おまえと私は たとえば二隻の舟
暗い海をわたってゆくひとつひとつの舟
互いの姿は波に隔てられても
同じ歌をうたいながらゆく二隻の舟
 
敢えなくわたしが波に砕ける日には
どこかでおまえの舟がかすかにきしむだろう
それだけのことでわたしは海をゆけるよ
たとえ舫い綱は切れて嵐に飲まれても
 
      「二隻(そう)の舟」 詞:中島みゆき