メモランダム

  • 歌姫追悼

 ホイットニー・ヒューストンさんのご冥福をお祈りします。
 「Saving All My Love For You(すべてをあなたに)」、「How wil I Know(恋は手さぐり)」、「Greatest Love of All」、「I Wanna Dance With Somebody(すてきなSomebody)」、「So Emotional(やさしくエモーション)」、「Didn't We Almost Have It All(恋のアドバイス)」、「I Will Always Love You」・・・。(当時つけられた邦題が時代を感じさせるわね。)そよ風の贈りものWhitneyThe Bodyguard: Original Soundtrack Album
 1985年のデビュー以来、怒涛のNo1ラッシュでスター街道を驀進して、「I Will Always Love You」はなんと14週連続No1!俺も当時は心の澱を全て洗い流してくれるような彼女のパワフルで真っ直ぐなボーカルが大好きで、良く聴いてました。間違いなく彼女こそ、その後雨後のタケノコのように出ては消えていったDIVA系の元祖でしょう。そんな彼女、90年代半ばから急に失速して、聞こえてくるのは薬物濫用で騒ぎを起こしたなどのゴシップばかり。一時はトップに上り詰めて世界のすべてを手に入れたとさえ思えたであろう人だからこそ、一方でこの世のどん底を見ることにもさほど抵抗がなかったのかもしれないな、なんて思ったり。本当に天国と地獄は紙一重。結果的にはいかにもトップスターらしい最期と言えなくもない。哀しいかな。
 享年48才。。。あ、俺と同い年だ。正確には、一つ上だけどね。何とも太くも短い人生だったことか、ホイットニー。選ばれし人、とはこういう人なのね。

  • 48才。

 そんなわけで、俺はいま47才で今年48才になるわけだけど(いわゆる年オトコね)、ホイットニーの死によって、同い年で成功している有名人って誰がいるのかな?なんて俄然興味が湧いてきて、検索してみたのね。
 マッチ、杉田姐さん、じゅん子議員、鶴見シンゴくんら「金八組」はリアルタイムで俺が中3の時にドラマが放映されていたので(ちなみに俺は3年A組!)同い年だということは知っていたのだけど、ウッチャンと出川も同い年だったのね。それから俳優では阿部ちゃん、堤真一椎名桔平岸谷五朗高橋克典・・・あら、やけに渋いメンツ(仲間に入れて!)。え?温水さんも竹内リキさんも同い年?(俺はこっち系統ね 笑)女性陣では薬師丸さんに高島礼子さん、荻野目慶子さんにYOU姐さん、そして真矢みきさんもそうだって。こっちはやたら濃いメンツ(笑)。海外に目を向けると、サンドラ・ブロックラッセル・クロウキアヌ・リーヴスバリー・ボンズジャン・アレジも同い年。政治家では、枝野氏、玄葉氏(さすがにふけてるわね)。あとはエド・はるみゲッツ板谷イジリー岡田・・・イタタ。
 同い年の有名人って、きっと同じような歳相応の悩みだとか肉体的衰えとかを感じているのだろうな、なんていうそれだけでどこか親しみが湧いてしまうから、不思議。彼らの活躍(逆を含めて 笑)を傍目で見つつ、自分のその年齢なりの立ち位置みたいなものを確認しながら、これからも生きていくのかな、なんて思っている。めざせ、杉田かおる!違うか(笑)

  • 由紀さんのNHK番組を観て 

 「SONGS」そして「ショータイム」と、NHKの良質な音楽番組に由紀さおりさんが連続して登場。アルバム『1969』の収録曲を中心に、アメリカに乗り込んでのPink Martiniとの共演ステージの模様もたっぷり紹介(バンドのイケメン歌手、ティモシー・ニシモトとの小粋なデュエット「真夜中のボサノバ」が最高でした)。「ショータイム」では90分たっぷり“由紀さんづくし”で、独り芝居ソング「イズ・ザット・ゼア・イズ?」を臨場感たっぷりに演じて魅せたほか、ヒット曲「手紙」「ルーム・ライト」はもちろん、姉・安田祥子との童謡競演、ジャズ・アレンジで「りんご追分」を披露するなど、実に盛り沢山で贅沢な内容でしたわ。本当に由紀さん、60才を越えて歌手としてまたピークを迎えているのではないかしら?と思えるくらいどのパフォーマンスも完璧で、思わず引き込まれる感じ。これって、長期休業状態に入る前数年(昭和63年〜平成4年ころ)のちあきなおみさんに良く似てるな、と思った。一つ一つの演目に魂を込めて歌っている、そんな感じ。
 最初にこのブログでアルバム『1969』を紹介したとき(“女優の余裕”オトナの歌謡曲、世界へ〜由紀さおり『1969』)、1969このアルバムは芸歴40年の由紀さおりさんの“遊び心”だと書いたのだけど、番組でのご本人の発言によると、実はもっと強い思いがあったのね。要は「歌謡曲の“歌い手”としての自分にもう一度賭けてみたかったのだ」と。もちろん、きっかけは思いがけないもの(ピンク・マルティーニのリーダー・トーマス氏がたまたま彼女のLPを“ジャケ買い”したこと)であったにせよ、彼らとの競演アルバムを現実にリリースにまで漕ぎ着けた原動力は、このアルバムを作りたい、という由紀さおりさん本人の強い意志だった、ということね。
 そしてそれを実現する上での裏付けとして、彼女の並外れた歌の巧さ・器用さ、そして人間性の豊かさ、があったことは間違いない。それも世界に通用するレベルでね。日本語で歌う歌謡曲、それがいま由紀さおりを通して世界で通用しているというこの現実こそが、それを如実に物語っているような気がする。まさに、由紀さおりさんでなければ成し得なかったこと。
 番組のインタビューではホホホ、と相変わらずのホンワカムードを醸し出しながら、しかし的確に受け答えをし、海外遠征でも気後れすることなくしなやかにパフォーマンスをこなし、スタジオ収録では驚くべき集中力で完璧な歌唱で魅了する。。。
 今年も由紀さおりさんから目が離せません。
 今回の番組とは違いますが、40周年コンサートからオススメ動画です。
 「みんな夢の中」