浅草ラプソディ

 下町生まれの俺にとって、「浅草」は少しだけ特別な街。
 我が家が自営業(床屋)だったこともあって、(安定収入を得る為には)なかなか長い休みも取れず、家族みんなでの“お出かけ”はいつも、一番近い繁華街・浅草だった。
 中心に鎮座する雷門そして浅草寺はともかく、松屋デパートやら仲見世商店街やら、映画館やら遊園地やら寄席やら、そしてひとつ奥の路地に迷い込めば怪しく輝くネオン街やらストリップ小屋やら。。。子供にとっての浅草は、まさになんでも有りの、スリルたっぷりなワンダーワールドだった。俺たちは家族みんなで月一回、お店が休みの月曜日の夕方に浅草に出かけて、決まって神谷バーのレストランに入り、子供は(家では滅多に食べられない)グラタンやオムライスを食べ、大人たちは電気ブランやビールを飲んで日頃の憂さを晴らし、帰りは皆でブラブラと散歩しながら、たまにおもちゃ屋でお土産を買ってもらってバスに乗って家に戻る、ただそれだけのことだったのだけど、それでも家族にとっての一大イベントで、それだけでとても楽しかったのだ。
 俺が子供だった頃(昭和40年代)の六区周辺のあの独特の猥雑な雰囲気は、まだ「戦後」の匂いを強く漂わせていたような気がする。カルメ焼きやソースせんべいの屋台が並ぶ「酉の市」の賑わいの陰で、片足や片腕だけの傷痍軍人が、白装束に身を包んで街角に立ち、義捐金を求めて奏でていたアコーディオンの物悲しい響き。それは戦争を知らない子供にとって“お出かけ”のワクワクを吹き飛ばすほどの強烈なインパクトで、その後しばらく俺のトラウマになったほど。なんだかね、当時の浅草にはまだ見世物小屋もあったし、妖しげなハリボテの仁丹塔も残っていたし、そういったおどろおどろしい雰囲気がそのまま“江戸川乱歩の小説の世界”みたいだったのね。
 そんな当時の浅草の雰囲気をとても良く再現している映画がこれ。異人たちとの夏 [DVD]大林宣彦監督の『異人たちとの夏』。ここで言う「異人」とはそのまま“亡霊”のことなのだけど、風間杜夫演じる主人公が亡き父母と再会する街こそがここ、浅草なのだ。ふと路地を曲がるとそのまま「昭和30年代」に迷い込んだ錯覚を覚える街、浅草の妖しい(怪しい)魅力がこの映画ではとてもよく出ていて、私の大好きな一本。(すき焼きの銘店「今半」での最後の晩餐を前に、夕闇とともに消えていかざるを得ない亡き両親との「今生の別れ」の、切なさといったら。。)
 
 さて、閑話休題。“下町の繁華街・浅草”はバブル期を境に次第に時代から取り残されて、いつの間に寂れてしまったのね。通りは週末でも閑散として、なじみの店も一つまた一つと無くなり、俺が子供の頃から慣れ親しんだ街がいつかうら寂しい雰囲気に包まれて、随分と様変わりしてしまった気がする。
 そんな浅草が、なんといま、再び盛り返しつつあるのだ。
 そう、“スカイツリー効果”ね。90年代後半頃から「レトロ・ブーム」のお陰で下町風情・江戸情緒を今に残す都内随一の観光地として少しづつ復活の兆しはあったものの、もう一つ決め手に欠ける印象のあった浅草。それが、“スカイツリーに最も近い繁華街”としていよいよ再ブレイク寸前、というところまで来ている気がする。
 大型連休最終日には「東京ホタル」なるイベントで集客。実際は予想に反して地味〜な感じではあったのだけど(笑)、こうして「新しいもの」をどんどん展開しながら、「懐かしいもの」も大切に残してくれるであろう街、浅草。スカイツリーを眺めながら、あの角を曲がればあの頃の家族とふとすれ違いそうな気がする街、浅草。俺はこれからもこの浅草を愛していきたいと思う。
↓ なんだか地味〜な(笑)「東京ホタル」アット隅田川。手ブレでごめんなさい。

↓ 通称「ウ○コビル」を真下から望む。シッポが見える(笑)。