レッツ・メイク・ラヴ。

 早くも6月です。今回は少し生々しいことを書こうと思うので、抵抗のある方は読み飛ばして下さいね。
(ちなみに今回、使わせて頂いたCDジャケットは本文と全く関係ありません。あしからず。)
 
 私はゲイのコミュニティにデビューしたのが遅く、いわゆる初体験も凄く遅かったのです。男性との初めてのそれは30代後半のことです。それまで女性との経験は勿論なくて、一度だけ学生の頃に所謂“風俗”に行って挑戦してみたものの、どうしてもその気になれなくて(途中から母親と抱き合ってるような気持ちになっちゃって…)、結局キスだけで帰ってきた苦い経験だけが記憶に残っています。二十才の記念碑 曼珠沙華
 そんな私も初体験以降は生来のエッチさを存分に発揮して(苦笑)、それなりに経験を重ねてきたりしたわけですが。。。最近、セックスって不思議だな、なんて改めて感じておりまして、今日はそのことを書こうと思うのです。
 
 たとえパートナーであってもやはり他人は他人で、裸はおろか恥部、ましてや“戦闘状態”にあるその部分を他人の目の前にさらけ出すことなんて、初体験するまでは考えてもみませんでした。当然ですよね。その上、いざコトが済めばまるで何もなかったような顔をして、一戦交えた相手と向かい合ってゴハンを食べられちゃうなんて、そんな厚顔無恥な一面が自分にもあったのだということが、最初はとても不思議だったんですね。ある意味、極端に潔癖で見事に自己完結していた青年期の私は、そのような形で人と、ましてや身内でもない他人と交わることなど想像もつかずにいて、結局はそのままの感覚で30代後半まで生きてきてしまったのだと思うのです。そしてその不思議な感覚は、50才に手が届く最近まで引きずっていて、いまもときどき感じたりします(汗)。
 そして、いざセックスを経験してしまうと、結局人は大した違いはないのだな、ということを学び、それが一種の安心感に繋がることを知りました。セックスに対するアプローチは人それぞれだけれども、肉体的な面で見れば、その形状や、触ったときの反応や、匂いさえも、実のところ大差ないのです。それ以前の私は、自分の肉体構造や肉体的反応がいかにも固有で異常なもの、という捉え方をしていて、それはとても「孤独」な感覚でした。しかし人間の身体の造りは大差ないことを知り、肉体的な悦びを分かち合う関係を初めて体験することで、そうした関係が言葉でつながったものよりもはるかに孤独感を癒すことを知ったのです。つまり肉体的悦びの共有とは、自分が相手を求めるのと同じように、セックスしているその瞬間、たしかに相手も自分のことを強烈に求めているということになるからです。本能に基づくその事実によって、ちっぽけな自分の存在価値を確認できるから、たとえ一瞬でも孤独から開放された気持ちになれるのかも知れないと、そんなふうに思ったのです。三文ゴシップ
 また、セックスは文字通り不潔な行為でもあります。(精神的な意味の「不潔」だけではありませんよ。)それはもろ排泄行為を伴いますし、たとえシャワーを浴びたとしても相手の肉体を“舌で味わったり”するわけですから、冷静に考えれば凄いことをしているんですよね。でもよくよく考えればそれはある意味、犬が大好きな飼い主に飛び付いて顔をペロペロ舐めるのと同じで、言葉のいらない究極の愛情表現だと言えるのかも知れません。人間の場合は特に、「私にとってあなたは汚くないよ(自分の身体と同じに思っているのだよ)」という意味あいを含んだ行為になっていくわけで、それがお互いに分かち合えていけるとしたら、実は素晴らしいことなのではないかと私は思ったりもしています。
 ところで、“肌が合う”、という言葉がありますが、これって意外に核心を衝いた言葉だな、と思いませんか?精神的な意味は勿論のこと、文字通り肉体的な意味で肌が合うとき、例えは私の場合は、初めてキスをして抱き合った時に、あ、合う♥という直感が湧く相手とは大体その後の関係も長続きして上手くいくのです。
 そもそも人間も、極微の細胞の集合体であって、その細胞というものも、さらに奥に進めば原子の回りを電子が回転して出来た分子の集合体であったりします。つまりは太陽系のミニチュアみたいなもので、粒子を除いてしまえばあとは「空間」に違いないんですね。Songs in the Key of Life
 何を言いたいかと言うと、肉体も分子レベルで見ればスカスカの隙間だらけなのだ、と。そんな肉体同士が触れ合ったとき、何が起こるかと言えばきっと、お互いの肉体を構成する微粒子の「空間」で「何か」が交流(行き来)しているのではないか、と私は思うのです。その「何か」とは例えば、その人が生まれ持った固有のエネルギーかも知れませんし、もしかしたら「魂」そのもの、なのかもしれません。そのようなものがそれぞれの分子の隙間から流れ出し、そして混ざり、溶け合っていくのです。
 そうした二人の「何か」がうまく溶け合ったとき、たとえようのない一体感と心地良さを感じ、「素晴らしいセックスが生まれる」のではないか、なんて大袈裟なことを、いま私は考えているのです。
 ついでに、それは「人間同士の尊い営み」であって、決して「男女」だけに許されたものではない、なんてことも。。。
 いや〜。セックスって、ホントに不思議で、イイものですね。(水野晴郎さんふうに。 笑)