50万PV記念〜想い出のアルバム〜邦楽編

 前回の「洋楽編」は、“半生(反省?)の想い出のアルバム”にしては時代が偏ってしまいました。でもそれは仕方のないことで、俺が洋楽を中心に聞いていたのが多感な10代から20代にかけてであって、70年代後半から80年代前半に当たるわけでね。だから俺の「洋楽時代」はそのころで終わっているのです(笑)。
 そこからすると、邦楽編はそこそこ時代がばらついているかも。それでは早速、参りましょう。
 十二月の旅人俺がこれまで生きてきた48年の間いつもBGMとなって寄り添ってくれた音楽、それは太田裕美さん。実家の店先のラジオから流れる「木綿のハンカチーフ」で魅了されて以来、しばらくはテレビやラジオでのチェックに留まっていたのだけど、裕美さんのアルバムを初めて手にしたのは、レンタルレコードで借りた『十二月の旅人』(1980)だったのね。当時としても地味でオーソドックスなサウンドだったのだけど、その存在だけで何だかノスタルジックな雰囲気を感じさせてくれていた、アーティスト・太田裕美さんのエッセンスが凝縮されたような、温かさ溢れる名盤。
 高校生になって受験を控えた夏に、俺、恋をしたのね。相手は同じ予備校に通っていた同級生(♂)。最初は友達として付き合い始めて、一緒に予備校に通って、帰りにその子の家に寄ったりしているうちに、どんどん好きになっちゃって。でも奥手な俺はその気持ちを抑えることに精一杯で。
 そんな頃、あっけらかんと夏を謳歌する他の友達や先輩たちにジェラシーを感じつつ、自分にもいつかそんな風に青春を謳歌する日が訪れることを夢見ながら聴いていたアルバムが、サザンの『NUDE MAN』、そしてユーミンの『Pearl Pierce』だったのね。ともに1982年の作品。
 NUDE MAN(リマスタリング盤)NUDE MAN』は“夏はサザン”を決定づけたアルバムでもあるのだけど、湘南哀愁歌謡「夏をあきらめて」や熱いディスコ「匂艶THE NIGHT CLUB」、王道バラード「ohクラウディア」など、バラエティに富んだ名曲の揃い踏みで、当時はホント、聴きまくりましたわ。聴きながら自分の“切ない気持ち”を確かめては、反芻していた、そんな感じ。
 一方の『Pearl PiercePEARL PIERCEは、けだるい夏休みの思い出。ほら、夏休みって、ワクワクするのは最初だけで、途中からはすることがなくなって、すごくダレるじゃない?どこへ行くでもなく、恋のイメージだけが先行してモンモンとしていたあの頃の気持ちに、すごくこのアルバムが合っていたのね。奥手な女性の恋を歌った「フォーカス」や、けだるい夏の午後の空気を鮮やかに切り取った「夕涼み」など、ユーミンのソングライティング力の凄さに感嘆しながら聴いていた18才の俺です。
 大学に入ったのはいいけれど、何だか方向性を失って意味も無く落ち込んでいた時に、癒やしの声で救ってくれたのが斎藤由貴さん。シングル「悲しみよこんにちは」の前向きな詞には随分勇気づけられました。その曲が収録された『チャイム』(1986年)チャイム(紙ジャケ+HQCD)(仮)は、目立つ曲こそないものの、アコースティックな印象の良質のポップ・アルバムで、授業に向かうためにキャンパスを横切りながらよく聴いていたのを思い出します。
 さて、ここでセイコさんの登場。もちろんセイコさんのアルバムは『Candy』以来、ずっとリアルタイムで聴いていて、どれも想い出のアルバムなのだけど、全部挙げていったらこの企画はセイコさんだけで終わってしまうので(笑)、敢えて1枚だけ、とても苦労して選びました。それは、1988年の『Citron』。Citronあるメーカーに就職して、とにかく毎日毎日に全力投球だったあの頃、二人部屋の独身寮に帰って、ルームメイトの邪魔にならないように、狭いベッドの中でヘッドホンステレオから流れるこのアルバムを聴いていた、若くて不器用で一生懸命だった自分を思い出させてくれる、想い出深い作品。D・フォスターの指導のもとで、いつになくクールなセイコさんの歌声が、大人の世界で頑張る自分と妙にシンクロしていた感じね、今思えば。
 MOTHER就職して最初に配属されたのが、京都。知らない土地で右も左もわからず、知らない人の中に飛び込んで、でもこんな俺がやってこれたのは、京都という土地と、そこに住む人々のお陰かな、なんて思っているの。シャイで、少し意地悪で、でも実は優しい。そんな京都人の気風が、きっと自分に合っていたのね。そんな京都での4年間の生活での想い出のアルバムが原由子の『Mother』(1990年)。こちらはハレて昇格した独身寮の一人部屋(笑)で、ボーナスで買ったCDラジカセでよく聴いていた作品。桑田&ハラボーの音楽的相性の良さが表れたポップな名曲が詰まっています。
 The Swinging Star90年代前半は、俺にとっての「暗黒の時代」。転勤で東京に戻って、でも結局は親と喧嘩して一人暮らしを始めたのが1992年。お金は無いし恋人はおろか遊べる友達さえいなくて、職場でも上司とソリが合わず、とても孤独で辛い日々を送っていたの。そんなとき、メガヒット時代を迎えていたJ-popの数々が俺を救ってくれたのね。中でもDreams Come Trueの『The Swinging Star』(1992)には元気と勇気をたくさんもらった。「決戦は金曜日」「晴れたらいいね」といったアッパーなシングル曲はもちろん、「あの夏の花火」「眼鏡越しの空」などメロディアスで切ない名曲もぎっしり。
 WICA(ウィカ)自分を見つめ直す行為によって辛さを乗り越えようとしていたのか、当時スピリチュアルなものに興味を持っていた俺。そんなときに再会したのがEPO。『Wica』(1992)はシングル「百年の孤独」をはじめとして“がんばらなくていい”ということを俺に教えてくれた究極の癒しの1枚。
 魂のピリオド両親が相次いで亡くなったのが20世紀の終りころ。その頃に復活を果たした太田裕美さん。筒美・松本コンビと20年ぶりに組んだ復活作『魂のピリオド』(1998)にまつわる切ない思い出は、以前、ここに書きました。このミニアルバムは、俺にとって永遠の「特別な1枚」。
 無罪モラトリアム最後は、林檎ちゃん。『無罪モラトリアム』(1999)はまさしく衝撃で、俺にとっては太田裕美さん、松田聖子さん以来の逸材登場、という感じでした。ホント、中毒のように聴きまくり、回りの友人に薦めまくり、毎日ネットをチェックし、記事が載れば雑誌を買いまくりましたわ。いったい、なんだったのでしょう、あれは。今思えば林檎ちゃん、早咲き過ぎましたね。。。
 さて、以上がわたしの想い出のアルバム、邦楽編でした。やっぱりヒット作ばかりで、つくづく小市民よね俺って!ははは。
 というわけで。最後までおつきあいありがとうございました。
これからもご愛顧のほどよろしくお願いします。