ベストテン・クラシックス〜1982年2月

 今回は、今から31年前、1982年のチャートです。この月のチャート、個人的にホント大好きな曲ばかり並んでいまして、当時、ベストテン番組を見るのがとても楽しみでした。チャートマニアにもたまらない顔ぶれなのじゃないかしら。
 では早速参りましょう。
 まずは第10位もんた&ブラザーズデザイアー」。先週より3ランクダウン。もんた&ブラザーズと言えば、ミリオンセラー「ダンシング・オールナイト」の一発屋、と思われがちだけど、セカンド「赤いアンブレラ」(最高10位)のあと1曲はさんで第4弾のこの曲「デザイアー」がヒットして、都合3作をベストテン入りさせている“3発屋”(散髪屋?)さんなのよね(笑)。この曲、好きだわ。りばいばる 歌謡曲編 もんた&ブラザーズ
 動画は別サイトへ。
 
 第9位増田けい子すずめ」。先週より4ランクアップして待望のトップテン入りです。ピンクレディー解散後、ソロ歌手としてのデビューはミーちゃんの方が先(1981年7月)だったのに、トップテンに先に飛び込んだはケイちゃん。ケイちゃん「女優で頑張る」って言ってたのに。この辺がピンクレディー二人の運命を表しているような気もするのよね。この曲は中島みゆきブランドを使った企画の勝利だったかもね。名曲です。

 
 続いて第8位は2ランクダウン、「ぶりっこロックンロール」。紅麗威甦です。前年の81年あたりから数々の関連グループやソロを輩出して、一世風靡した横浜銀蠅ファミリーの一員。リードボーカルはなんとあの、杉本哲太さんっす。夜露死苦

 第7位は先週21位からジャンプアップしてトップテン入り!シュガーウェディングベル」!今振り返ると、コミカルさとキュートさが絶妙にブレンドされたこの世界、のちのおニャン子やモー娘の先駆けだったのかもな、なんて思う。タモリはこの曲の軽薄さを「ムズムズする」とか言ってネタにしてたわよね、たしか。

 第6位と第5位は一緒に紹介しちゃいましょう。
 まず第6位!「夢の途中」、来生たかおさん。そして第5位!「セーラー服と機関銃」、薬師丸ひろ子さん。タイトル違いの競作が仲良くワンランクダウンで今週も並びました。
 「夢の途中」は、ちょっぴりSな私が思わず「いじめちゃうゾ!」と言いたくなっちゃうような、ちょっと暗めでシャイで純情そうなお兄さん、来生たかおさんがモソモソと歌う感じが、何とも味わい深かったわね。。
 一方の「セーラー服と機関銃」も好きなんだけど、薬師丸たんの、顔に似合わないのっぺりソプラノの歌声と、曲の内容と全くリンクしていないタイトルにどうも抵抗があってね…。私、来生バージョンの方が好き!でも競作2曲がこの位置に並んでるというのは、やっぱり凄いこと!名曲ですものね。


 さて、第4位は先週10位より急上昇、中村雅俊さんの「心の色」。
 俳優としても歌手としても長い期間にわたって成功した人と言えば、今なら福山くんだろうけど、一昔前なら断然この人、中村雅俊アニキ。ドラマ主題歌として大ヒットしたこの曲、この後デビュー曲「ふれあい」以来のNo.1を獲得します。ヒロリン「聖母たちのララバイ」で知られる作曲家・木森敏之さん作曲によるドラマチックな名曲ですね。

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 さて、ここで恒例、圏外11位から20位までを発表。
11位 麗人(沢田研二
12位 悪女(中島みゆき
13位 完全無欠のロックンローラー(アラジン)
14位 ラブ・ミー・テンダー(松本伊代
15位 ジェームス・ディーンのように(Johnny)
16位 恋人たちのキャフェテラス(柏原よしえ)
17位 純情(郷ひろみ
18位 フィジカル(オリビア・ニュートン・ジョン
19位 みちのくひとり旅山本譲二
20位 ラブレター(河合奈保子
 ジュリーにみゆきにヒロミ・ゴー、そしてオリビア!キラボシのごときメンバーがここに控えてますね。なんと贅沢な。。。
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 さていよいよトップ3!第3位は。。。
 田原俊彦さん「君に薔薇薔薇…という感じ」。
 トシちゃん8枚目のシングルにして初めて筒美さんから曲提供を受けて、まるで水を得た魚のように、ジャニーズ伝統のカッコイイR&B路線にハマった1曲。37万枚を売り上げました。

 続いて第2位は、トシちゃんのライバル、マッチでした!近藤真彦情熱★熱風☾せれなーで」。明菜も“大好き♥”と言っていた、ヤンチャっぽさと哀愁が見事にブレンドされた、筒美先生の美味しいメロディーが炸裂する隠れた人気曲。もちろん最高位は1位、55万枚の大ヒット。

 そしていよいよ第1位!きゃあ〜〜!松田聖子さん「赤いスイートピー」です。先週と変わらず、1位を3週キープです。もう、説明は要りませんね。もはやスタンダード・ナンバーとも言えるこの曲が、実際にヒットチャートを賑わしていた、この1982年のチャート。今思うと夢のようですね。

 では、また。