優しい関係

 ここのところ冴えない毎日が続いていて、先日、憂さ晴らしにしこたま飲んでフラフラになって、帰りの電車に乗ったのね。幸い電車は空(す)いていて、余裕で座れたの。
 隣にはメガネをかけて野球帽を被った小学生高学年くらいの少年、その隣には身なりを小奇麗に整えた痩せぎすの老紳士が座っていたのだけど、平日のこの時間帯にはあまり見かけない組み合わせなので、一目で「夏休みを使ってのお爺ちゃんと孫の小旅行の帰り」だということがわかったのだ。
 走る地下鉄。車内の轟音の隙間に、ふたりの会話が聞くともなく聞こえてくる。
 孫「あ〜あ、学校、イヤだなあ。」
 爺「学校はみんなで勉強するためのところなんだから、楽しくないのは当たり前だよ。」
 孫「そうかなあ。」
 爺「イヤでも、頑張って行けるかい?」
 孫「うん・・・。でも、わかんないな。」
 爺「男は、一度“うん”と言ったら、言い直さないものなんだぞ。」
 孫「じゃあ、女の人だったら、言い直してもいいの?」
 爺「あははは。そうかもな。」
みたいな、他愛のない会話。でも俺、そんな二人の会話を聞いていて、なぜか心がじんわり温かくなって、思わずウルウルしてしまってね。目をつぶって寝たふりを決め込むしかなくて。
 おじいさんの、孫に対する愛情が言葉の端々からあふれ出ていて。おそらく、祖父と二人きりの夏休みを過ごした孫の方は、そんな祖父の無償の愛をしっかりと理解して受け止めているようで、何より二人がそれぞれ、一緒にいる時間を心から楽しんでいるのが伝わってきて、その微笑ましいやりとりが「ああ、いいな〜。」と素直に思えたのよね。
 そして、お爺ちゃんと過ごしたこの夏休みの一日が、隣に座っている小学生にとっての一生の思い出になればいいな、なんて考え始めたら、俺、思わず涙が込み上げてきてね(酔っぱらっていたこともあって・・ 汗)。

 モノトーンで流れていく日々の中にほんの一瞬、暖かい光が差したような気がした、そんな夜。

 祖父母にとって孫は、自分が“育ての当事者”でないぶん、ある意味無責任に無償の愛情を注ぎ込める存在。一方孫にとって祖父母は、ワガママをワガママとして聞いてくれる、良き理解者になりうる存在なのかもしれない。

 普段は「結婚できず子供が持てないこと」に関してはそれほど気にならない俺なのに、この時ばかりは「ああ俺は一生、この二人のように、自分の孫と一緒に優しい関係を築く経験が出来ないのだな・・・残念だなあ。」などと考えてしまっていることに、我ながら驚いたりもしたのだ。