TOKYO2020

 2020年のオリンピック開催地は東京に。
 マスコミはこのニュース一色ですね。確かに日本人としては久々に前向きな気持ちにさせられる出来事には違いありません。国民一丸となって向かうべき具体的かつ楽しみな目標が(やっと)出来たわけですから。思えば、バブル崩壊以降、せいぜい現状維持が精一杯で、明るい将来像など思い描く余裕などなかったこの国にとっては、どんなに素晴らしく効果的な政策が束になってかかっても太刀打ちできないような、インパクトになったような気がします。
 ちなみに私、前回の東京オリンピックが開催された1964年に生まれました。次回の東京オリンピックが来る2020年には、56歳になってます(汗)。どうせなら、干支が5巡した還暦の年にオリンピックを迎えられたら、個人的にはもっと感慨深かっただろうに…なんて、贅沢なことを考えたりもしています。
 ところで、開催地が東京に決まった経緯に関して、総合的な安定感や安心感、安全性等が理由として上がっていますが、それについては私、少しだけ違和感があるのです。確かに、先進国としての成熟度を測れば恐らく申し分ないと思いますし、失われた20年を経てなおGDP3位(2012年)だったりするということは、日本という国は世界の中で見ればバツグンに安定している国のひとつなのでしょう。
 ただ、安全・安心の面を突き詰めてみると、「本当にそうなのかな?」と思えてしまうのです。
 例えば、自然災害。いま日本ではいつ南海・東海大地震が起きてもおかしくない状況なわけで、大都市東京はそれに対する備えは充分なのでしょうか?また、オリンピック開催期間中、今年の夏のようにゲリラ豪雨があちこちで起こるとしたら、果たして交通機関は大丈夫なのでしょうか? テロ対策もそう。国内では平和ボケのような状態に永らく浸ってきた日本では、世界を股にかけて暗躍するテロ組織の脅威はまだ経験していません。この国の警察やその関連機関がそれらに対応する実力を持ち得ているのか、些(いささ)か不安だったりします。
 しかしそうした不安材料を押し退けてまで、東京にオリンピックが来るということ。これは本当は驚くべき事なのかもしれません。“陰謀論大好き人間”の私には、考えてみると少しだけ違和感が残る今回の開催地決定経緯を振り返るに「何か前々から用意されたシナリオがあったのではないか?」などという妄想が膨らんでしまって、抑えられないのです(苦笑)
 従来型先進国の慢性的かつ世界的な経済停滞、一方で新興国の期待外れの腰折れ。それら、世界的規模での資本主義社会の行き詰り感。
 その突破口(切り札)として、「東京オリンピック」が準備された。
 つまり、東京を中心(起爆剤)として世界経済の復興を目論む “影で世界経済を操る魑魅魍魎たち”が、今回の“TOKYO招致”劇の背後で跋扈している・・・。 なんてね。戯言ですけどね。
 いずれにしても、日本が元気になる絶好のチャンスには違いありません。そしてそれは、初めて「震災後」の新しい国の姿が見えてくるチャンスでもあるようにも思います。前回の東京オリンピックが「戦後」という呪縛を払拭したのと同じように。