あした天気になれ

 爽やかな秋晴れ、と呼べる日になかなか巡り合えない東京です。
 先日の台風26号は、各地に甚大な被害をもたらして去って行きました。関東は通勤時間帯に台風が最接近したこともあって、私も交通機関のマヒで1時間以上も途中駅で足止めを食らい、職場にたどり着いた頃には精根尽き果てた感じでした。
 それでもまだ東京は被害が少なかったわけで、伊豆大島では多くの方が亡くなられました。何度か島を訪れたことのある一人としては、とても心が痛みます。
 大島の、まるで時が止まったようなあの風景が、好きでした。私はシーズンオフに訪問したのですが、島で随一と言って良い繁華街、元町でさえ昼間でも殆ど人を見かけず、まるで映画の屋外セットの中を歩いているような気分になったのを覚えています。そして火山島ゆえ、いざ港から上がればどこも坂、坂、坂・・・。あらゆる場所から海が見渡せもします。そんな解放感の一方で、一年中潮風に晒されている建物たちは、どこもかしこも寂びれた廃墟のように見えて、それが一層「時が止まった土地」という印象を強めている気がしました。
 散歩がてら少し山の方に上れば、数十年前の三原山噴火の際に鬱蒼たる雑木林を丸ごと呑み込んで、ようやく道端で止まった溶岩流が、突然黒い巨大な塊となって目の前に現れたりします。それはまるで「十戒」で二つに割れた海の壁のようで、そこではまさに“時が止まって”いました。
 溶岩質の地盤の上で、決して恵まれているとは言えない自然環境の中、しかし大島の人々は逞しく、それぞれ助け合いながら穏やかに暮らしている感じがあって、私はそこが大好きでした。家に鍵をかけることなど殆ど必要のない暮らし。そんなふうに肩寄せあって人々が暮らしている島の中心部を、土石流が呑み込んでしまった。。。悲しいことです。
 
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 台風26号が関東に接近して来るという予報が流れた夜、私は仕事を早々に切り上げて帰宅しました。窓をたたく雨、風。これから巨大な台風が襲来することがわかっていながら、ただ家の中、独りでじっとしているだけの私がいました。
 それはまるで“この世にひとりぼっち”のように感じられて、とても心細いものでした。迫り来る自然の猛威を前に、ただ縮こまっているだけの、ちっぽけな独りの人間。傍らに励まし合える誰一人も見当たらなかったそのとき、私はお得意の“強がり”さえも独りでは全く通用しないことを悟り、50歳目前にして自分がいかに“ひとりぼっち”であるかを、その晩、痛感したんです。
 今回、不幸にも犠牲になられた方の中にも、そんな心細い思いであの晩を迎えていた人もきっといらっしゃったのではないか。そう思うと、本当にやりきれない気持ちでいっぱいになります。
 
 亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。
 
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 そしてなぜかこの言葉がふと、浮かんだのです。
 みんなに。そして自分に。
 
 「あした天気になれ。」
 
 
「あした天気になれ」中島みゆき

“雨が好きです”と言いながら“あした天気になれ”。“愛が好きです”と言いながら“あした孤独になれ”。半ば投げやりになってうらはらな感情をぶつけるこの歌詞が、どうしようもなく弱気な今の自分、そのままのような気がします。