メモランダム〜震災から5年

 
 震災から5年が経ちました。
 震災後1年も経たぬうちにすっかり元通りの生活に戻り、只々身のまわりの瑣事に振り回されるばかりの毎日を過ごしてきた私には、今さら、震災について語れるような事は何も無いように思えて、書くまでに少し時間がかかってしまいました。
 5年目ということで、テレビ番組なども震災の特集が組まれて、私も何本か観たのですけれど、時の首相、菅直人さんが原発事故に際してあたかも「東電を翻弄した“悪役”」としてあまりに何度も登場してくるので、今更ながら“ああ、そういえばあの時は民主党政権だったのだ・・・”と気付き、アベ現政権がいくら国民を無視した独りよがりな政治を続けていても、民主党民進党に改名するそうですが)はじめ、野党に対して国民の期待が一向に高まらないのは、震災時における、かの政権の右往左往ぶりがいまだ国民の意識に刷り込まれているからに他ならないと確信したところです。
 ですが、ちょっと引っかかるところがあって、ネット検索してみたら、なんとあの「阪神淡路大震災」が起こった1995年の首相は、社会党村山富市さんだったのですね。(政権は、自民・社会・さきがけの連立政権でした。)
 つまり、あのときも正確には自民党政権ではなかったということ。
 もちろん、菅首相はじめ民主党の初期対応のまずさが、その後の原発事故の被害拡大や復興の遅れを招いたことを否定するつもりはありませんが、もう5年も経つのにいまだ仮設住宅に住まわざるを得ない方々をそのまま放置し、一方でたった5年のうちに原発の再稼働を強行しようとしている「自民党」が、もしあのとき、政権を握っていたとしても、私は民主党が行ったそれと、大差なかったような気もするのです。いまだ嘗て経験したことのない大災害、それはどの政党にとっても同じだったわけですから。
 確かに、官僚組織の現体制を作ったのは「自民」ですから、もし自民党政権だったら震災時の行政の動きがもう少しスムーズだったのかもしれない、という見方もあります。しかし、野党とはいえ全面的に与党・民主党をバックアップできなかった当時の自民党の責任も、決して小さくないように思えてならないのです。

 震災後、日本が劇的に復活したようなムード(雰囲気)が漂っています。おもてなし、クールジャパン、インバウンド拡大などプライドをくすぐる言葉で外国人観光客の急激な増加が喧伝され、テレビでも“ガイジンが驚く日本のスゴさ”を取り上げる番組を目にしない日がないほどです。そして、4年後にはオリンピック!
 でもその陰には、放射能の汚染水が日々大量に生みだされ、甲状腺がんに罹患する子供たちが確実に増え、ゴーストタウンと化した福島の避難区域には放射能に汚染されたイノシシやニホンザルの大群が跋扈し、仮設住宅孤独死する高齢者が後を絶たないという「現実」があるのです。
 どこか、奇妙な感じがするのは、私だけでしょうか。
 真実は、肝心な情報は、依然、隠されたまま。政権が変わろうと、そこは変わっていないのです。むしろ、自民党政権になって、巧妙に目くらましされているような印象さえあります。
 震災直後、避難所の不便な環境さえもじっと我慢し、被災地周辺地域では計画停電の節約生活をじっと我慢して、なんとか悲しみ・痛みを乗り越えてきた日本人には、あれ以来、たしかに微かな“誇り”と“愛国心”が生まれてきたような気もします。しかしどこか、今の政治はそんなところにつけ込んでうまく誤魔化そうとしているような気がしてしまうのです。

 あの震災で18000人近い方が、亡くなられ・あるいは行方不明のままだ、ということ。原発事故などの影響で、いまだ生まれ故郷に戻れない方が17万人もいらっしゃること。
 それを決して、忘れないようにしなければ。改めてそう思いました。