時の刻印〜「北の国から」三昧の日

 あっという間に連休も終わり。いざ終わってしまうと何てことはない、フツーの日常が過ぎていっただけ、という感じ。思えばずっとそうして生きてきた(生きてきてしまった)私の人生50数年・・・単なる連休が終わった、という以上に、そこが残念な気がしてしまう今日このごろ。
 私はこの連休、仕事に駆り出されたり、その後には少しばかり体調を崩してしまったりで、本当に冴えない「黄金週間」でした。ただひとつトピックと言えば、つい先日契約し直したケーブルテレビのおかげで、たとえ家に籠るばかりの休日になっても少しだけ暇つぶしの“選択肢”が増えた、ということ。
 先週5月4日の「みどりの日」(いつの間にか、4月29日からこの日にお引越ししてたのですね)は、体調が最悪で立ち上がるのも億劫な感じだったので、朝からテレビの前に置いてある一人用ソファに座って(涙)、ケーブルテレビのリモコンを片手にザッピングしていたら、「日本映画専門チャンネル」で思わず手が止まったのです。
 題して倉本聰劇場。なんと朝から「北の国から」Day(実際は前日の5月3日から2日連続でした)。
 「北の国から'95 秘密北の国から '95秘密 [Blu-ray]に始まり、「〃 '98 時代(前・後編)」「 〃 2002 遺言(前・後編)」と、1本が約2時間半のドラマを5本連続放送。朝10:00に始まり、終るのは23:30過ぎという、狂気じみたスケジュール!!
 私、全部、観ました(笑)。そして泣いた、泣いた・・・涙が涸れ果てるくらいに。寝る前に鏡で自分の顔を見たら、白髪まじり不精ヒゲ&瞼がおぞましく腫れた、無様な中年ジジイがそこに(苦笑)。
 「北の国から」が連続ドラマとして最初に放送されたのが1981年。ワタシは当時リアルタイムでそれこそ毎週夢中になって見ていました。そこから最終作が作られた2002年まで、20年。いわば「北の国から」はワタシたち世代にとっては外せない、ドラマのバイブルみたいなものかも知れません(勿論好きキライはあるでしょうけれど)。昨年のアカデミー賞作品賞ノミネート作品で、6歳の少年が18歳になるまでを同一の俳優が演じて話題になった「6才のボクが、大人になるまで6才のボクが、大人になるまで。 [DVD]
という感動作があったけれど、「北の国から」はそれに先立つこと30年以上前に、同じことをやっていたわけで(ここは純ちゃん口調で(笑))。それはスゴイことなのです。カワイイ赤い頬をぽってりさせていた吉岡くんや、無垢で健気な感じが愛おしかった中嶋朋子ちゃんは、いつの間に憂いを帯びた大人になり、最初は男盛りの雰囲気だった田中邦衛さんも、最後は70歳の枯れたオジイちゃん。思えばこの国では山田洋二監督の「男はつらいよ男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け HDリマスター版(第17作)が足掛け26年・48作(!)、「釣りバカ日誌」も足掛け22年・22作と、ご長寿シリーズものは定番であったりもするのだけれど、どちらかと言えば時代設定がタイムレスな「寅さん」「浜ちゃん」とは違って、「北の国から」の場合はしっかりとストーリーに“時の経過”が刻まれているのが、魅力なのですね。例えば邦衛さん演じる五郎さんが昔を回想するシーンがあれば、そこには子役時代の吉岡くんや朋子ちゃんが当時の映像でちゃんと出てくる。長男・純君の恋愛遍歴を辿れば、初々しい横山めぐみちゃんや裕木奈江ちゃんや宮沢りえちゃんが、次々と回想シーンの中に現れる。そんなドラマ、他にありませんよね。
 「2002 遺言北の国から 2002 遺言 [DVD]では、大事な共演者たちが一人、また一人とこの世を去っていく中、五郎さんも遺言を残そうとするわけです。ドラマの主人公にも着々とカウントダウンが迫っていることを感じさせる、この何とも言えない切ない感じ。そう言えば先日終了した朝ドラ「あさが来た」も、ドラマ開始時からずっと元気だったダンナさま(玉木宏が好演)が、終盤を迎えて少しづつ生命を枯らしていく様が何とも切なかったのですけど、最近ワタシ、こうした“愛着のある人(もの)”が身のまわりから消えていってしまうこと(抗えない時の流れ)を想像するだけで、悲しくて切なくて仕方がないのです。歳のせいですかね。「2002 遺言」はこのシリーズ最終作ということもあって、全編にそんな寂しさが漂っていた気がします。
 そんな「北の国から」は、長い時を刻む壮大なドラマでありながら、大人になった息子(純)・娘(蛍)は、二人ともどちらかと言えば不器用な人生を歩んでいて、でもそれぞれに不器用なりに一生懸命に自分たちの未来を切り拓こうとしているという、おとぎ話ではないそのリアルな感じが、何とも身につまされるのですね。そして根底にあるのは、家族への、どうしようも動かしがたい愛情であって。
 平凡に見えても、地に足をつけて、人間らしく自分らしく生きていければ、人生、上等なのだ。
 誰とも会わずに一日じゅうテレビにかじりつき、ひとりずっと涙を流し続け、最後には、そんな風に思えたのでした。