メモランダム2016.5.24〜ウソツキたち

 今更ながら、ベッキーについて。
 ワタシも先日のテレビ番組、観ました。中居クンの見事な、見事すぎてあざとささえ感じる話術に感心しながらも、肝心なベッキーの言葉には、心に響くものが全く感じられなかったワタシです。
 はっきり言って「どーでもいいわ」というような。
 あるとき、ある人に夢中になって。でもそれは誰彼なく言い触らすようなことでもなく、フツーに二人きりで会って、二人きりの時間を楽しんで・・・。それはごく自然なことですよね。
 その恋愛がたまたま有名人同士の間に芽生えたもので、たまたま世に言う「フリン」だったという(ベッキーは最初はそうとは知らず・・・なんて言ってましたが)、それだけのお話。
 彼女の会見内容が嘘っぱちで、会見でのしおらしい態度とは裏腹な、ラインでのホンネのやり取りが公けになってしまったことは、今回のエピソードの“おマケ”のような話であって、それを先日の放送でいともあっさりと事実だと認めてしまったベッキーに、「ああ、貴女も、自分を守るために平気でウソがつけるフツーの女の子だったのね」と、肩透かしをくらったような、そしてどこかホッとしたような気持ちを抱いたのでした。
 もちろん、公の場で平気でウソをつくのは許しがたいことには違いないのですけれど、例えば自分がある会社の広報部にいて自分の会社の不祥事についての「お詫び会見」をするとしたら、やはりどこか「理不尽さ」を抱えたまま、形だけは思いきり反省を装って、迷惑をかけた人々(←いったい誰に?というギモンを感じつつ)が少しでも納得するように、今にも泣きそうな顔をして会見に臨むと思うのですね。恐らく彼女が会見でそうしたように、余計なことは何も言わず、ただただ頭を下げて、何度もお詫びする。だから、あれはあれでウソだとしても、多少は仕方ないのかも、と。

 ただね、ワタシ、こうも思うのです。何でベッキー、お詫びしてしまったのだろう、って。そして、何でまた、中居クンの番組にノコノコ出てきたのだろう、って。
 もう、相手の男性を好きじゃないとか、彼女がマジメなところ見せれば見せるほど、どんどんシラケていくワタシなのでした。
 いっそのこと、略奪愛を貫いて、しばらく表舞台から姿をくらますくらいの一途さを見せた方が、彼女としては良かったのにな・・・なんて。そんなふうに感じたのです。(もちろん、心の中では不倫相手の奥さんへの申し訳ない気持ちを抱えつつ、です。)
 だってね、シラッと口から出まかせのウソをつきそうな軽薄キャラの女性タレントなんて、今は掃いて捨てるほどいますもの。今更ベッキーがそのカテゴリーの中で勝負しようとしても、厳しいのではないでしょうか。
 かといって、今まで通りの純真で天真爛漫なキャラは、恐らくもうムリ。
 同じような立場の元モー娘。のヤグチ真理が、いまだに鳴かず飛ばずなのは、やはりそこで躓いたのが大きかったように思うのです。純粋な愛情ではなく、単なる火遊びであったことを結果として認めてしまったから。もうそんなことは二度としない、と反省すればするほどに、そして番組で明るく振る舞うほどに、観る方は逆にそのキャラに嘘くささを感じて距離を置いてしまうような気がするのです。彼女も不倫相手とそのまま真っ直ぐに付き合ってしまえば、その愛は本気だったのだな、と許せたような気がする。他人の反応なんて結局、そんなものなのではないでしょうか。
 現に、ゲイノー界には表立っては話題にされない、現在活躍中の大物の略奪愛がゴロゴロ転がっています。→参考サイトhttp://matome.naver.jp/odai/2137032188066612501
 ベッキーも、今からでもおそくはありません、すでに離婚したと言われる「男性」とヨリを戻して、「逃避行」→「しばらくゲイノー界から引退」→「10年後にデヴィ婦人もどきになって再登場」くらいの気概(構想)を持って、愛の強さというものを世に示してくれたら、見直すのですけどね。。。
 
 誰にでもわかる嘘を公然とつきながら、自分の生活(おカネ)の為だけに、うわべだけの反省を見せて、今まで通り表舞台で使ってもらいたい、なんて都合の良い話だと、どこかの知事さんと一緒ですものね。