歌謡曲の良き時代〜「ニッポンの編曲家」

 今回は書籍の紹介です。

ニッポンの編曲家 歌謡曲/ニューミュージック時代を支えたアレンジャーたち

ニッポンの編曲家 歌謡曲/ニューミュージック時代を支えたアレンジャーたち

 面白かったです。この本。百恵のプロデューサーで以前こちらでも紹介したプレイバック」の著者・川瀬泰雄氏を中心に、ナンノを成功に導いたディレクター・吉田格氏以下4人による共同著作。
 70年代後半から80年代にかけてのニッポンのレコーディングスタジオ。そこは名うてのプロたち(音楽制作の“裏方たち”)が集まる、現代では考えられないほど華やかで、贅沢な社交場だった・・・。プロデューサー、ディレクター、アレンジャー、ギタリスト、ベーシスト、ドラマー、ブラス、ストリングス、コーラス担当のボーカリスト、そしてエンジニアまで。彼らへの貴重なインタビュー(すでに鬼籍に入られた方も少なくなくて、回顧録もあり)を中心に構成されたのが、この本。
 歌手や作詞・作曲家とは違って、殆んどスポットライトを浴びることのない彼ら(裏方たち)こそが、一方では名曲たちを名曲たらしめた最大の貢献者だったのかもしれない、そう思えた。そして、俺の愛する70年代〜80年代の曲たちが一層愛おしくなり、これからはアレンジやミュージシャンの演奏にまで深く入り込んで聴いていかなければ(勿体ない)、なんてことも思わされた。
 聖子さんのアルバムにバック・ミュージシャンのクレジットが入っていて「すげー」なんて思ったのは80年代前半。それまでは例えば百恵さんの「いい日旅立ちいい日旅立ちのイントロで朗々と鳴り響くトランペットを誰が演奏したのか?(正解は、数原晋さん・・・ちなみに聖子さんの「蒼いフォトグラフ」のブラスも彼だったりする。)とか、太田裕美さんの「雨だれ」のピアノは太田さんが弾いたのではなくて、超絶テクと明るいキャラで業界に名を轟かしていた“おじさんピアニスト”(故・羽田健太郎さん)だったのね?なんてことは知る由もなかったわけだし、まあ、業界の人以外は誰も話題にしなかったわけよね。
 でも、俺としては例えば百恵さんの「横須賀ストーリー」のイントロ(ジャジャジャ、ジャジャジャとストリングスが怒涛のように繰り出すやつ)とか、太田さんの「しあわせ未満の出だしに入る「ドン!」というタムにワクワクしたりとか、当時まだ小学生だったけれど、子供ながらに大好きなイントロやアレンジがたくさんあって(奇しくもその多くは萩田光雄さんのアレンジだったりして)、昔から決して歌謡曲を「ウタ」や「メロディー」や「歌詞」だけで聴いていたわけではないな、と今までの音楽遍歴を振り返って、改めて思うのだ。
 そんな音楽業界が激変したのは80年代の終わり頃で、やはりダビング技術の飛躍的向上と打ち込みなどコンピュータが作るサウンドが跋扈しはじめたことが大きいそうで。つまり、それによってミュージシャンがスタジオに集まって演奏する機会がめっきり減り、一人ずつスタジオに入って演奏する状態から、果てはサンプリングした楽器の音だけ(=一人作業)で音楽が作られるようになってしまった、ということ。
 その結果、どうなったか?ミュージシャンや、アレンジャー、プロデューサーらがスタジオに一堂に会することによってあちこちで生まれていた“ミラクル”(予想外のスパークのようなもの)が、今、失われつつあるのでは?と。つまり、音楽が一本調子で、つまらなくなっている(ような気がする)という意味のことを、多くの人が語っているのが印象深い。やっぱりね、ナマ演奏だからこそ生じるテンポの微妙なズレが、心地よいグルーブになって、生身の人間の体に直接的に届く、そういうことなのね。リズムボックスとサンプル音の繰り返しで構成された人工的な音楽とは全く違う「別もの」ということなのだ。
 
 それにしても、萩田光雄さんがその稀有な才能で業界人たちの多くから崇められている存在であることにびっくり。普段、格調高いアレンジをつける彼が久保田早紀の「異邦人」の下世話なイントロを恥ずかしがって、スタジオから逃げちゃったとかいうエピソードには笑えた。
 また、大村雅朗さんは才能があまりに尖りすぎていて、その厳しい要求に泣かされたミュージシャンも少なくなかったという逸話も驚きだったし、シンガー・ソング・ライターでもある広谷順子さんが当時、売れっ子“仮歌”歌手(アキナのガイドボーカルも担当していたという話)として活躍していたエピソードも面白くて、思わず“へえ〜?”とタメ息。
 とにかく、多くはレコードがまだ売れていた時代の、レコード会社にふんだんに資金があった頃のエピソードであって、スタジオミュージシャンたちは、毎日スタジオに入りっきりで、ほとんど誰のどんな曲を演奏したのかさえ覚えていないという・・・。つまりそれは、それだけ鍛え抜かれた精鋭のプロの演奏家たちが、当時の多くの曲のバックに付いていた、という事実でもあるわけで。
 俺自身、多感な時期にそんな時代の音楽にどっぷり浸かって来られたのはとても幸せなことなのだなと、改めて思えたし、いまだに自分には70年代〜80年代のあの頃の音楽が何故か飛び抜けて魅力的に聴こえる、その理由がわかったような気もした。