メモランダム2017.7.3

 まずは、とてもプライベートなことを書かせていただきます。 
 最近、大学時代のサークル仲間からの同報メールが沢山届くのです。やれ、誰々が久しぶりに東京に出てくるから集まろうとか、やれ、現役が出場する大会を皆で見に行こう、とか。
 もちろん、私も数年に一度くらいは忘年会やら何やらに呼ばれれば重い腰を上げて旧交を温めたりもする(→正確には、その“ふりをする”?)ので、一斉送信メールのメンバーに入っているわけなのですが、正直、そんなメールがくるたび、“面倒だな”と思ってしまうのです。そしてそのたび、そんな風に感じてしまうことが少し、後ろめたくなるのです・・・。
 先日来たメールはどうやら、仲間のひとりのお子さんが若くして急逝したというショックなお話でした。「どうやら」というのは、肝心な「訃報」メールが私には届かず、その後の本人に向けたお悔やみのメッセージや葬儀に出席するかのやり取りだけが、スレッドになって回って来たからなのです。そのやり取りの中でのキイワードから、ああ、そうだったんだ、と私は事情を察したにすぎません。
 おそらくスマホのメッセージでは同じようなグループのスレッドが沢山立ってしまうから、やり取りの途中でどのスレッドに返事を書くか、混乱してしまったのだと思います。
 もし、私がこの年齢で自分の子供を亡くしたら・・・。子供を持たない私にはその辛さは想像だにしえないのですが、おそらく私が想像する何十倍も何百倍も、激しい悲しみ、痛みなのでしょう。今まさにそんな辛い想いをしている、かつての仲間の顔が浮かびました。
 でも、私は、メールをスルーしました。
 いいえ、訃報が直接届かなかったことに腹を立てたからではありません。
 彼ら(サークル同期仲間)との関係は、もう終わっているからです。ただでさえ、年一回会うか会わないかの仲間たち。その中でも、お子さんを亡くした当人とはここ10年来会っていないし、年賀状さえ取り交わしていないのに、こんな同報メールで訃報を“何となく”漏れ聞いて、お子さんが亡くなったという、恐らく人生の中でも最大級の辛い体験に対して、まるでずっと親友であったかのごとく慰めの言葉を語れる図々しさは、さすがに私には無いからです。
 それでも、「その思いを察するに言葉も出ない」「奥さんを支えてあげて欲しい」・・・。スレッドにどんどん書き込まれる他の仲間たちの親身なお悔やみの言葉を前に、立ち往生し、どうしてもそこまでの思いに辿り着けない私は、只々後ろめたく、遣る瀬無い思いになるばかりだったのです。私は冷たいのだろうか、はたまた、こうして自ら孤独に進むばかりの愚か者なのだろうか、と。
 しかし、今回の出来事を通じて、気づいたことが一つあったのです。
 私にとって、彼らと過ごした時代は勿論とても大切な、懐かしい思い出。でも。。。いざ、振り返れば・・・。
 それほど自分は、彼らと過ごしたあの時代が、好きではなかったのです。そんなことに今更、気づいたのですね。あの時代は懐かしいけれど、自分にとっては彼らに合わせようと少しばかり無理をしていた、辛い時代だったということに。その思いに向き合わずにまた、あの頃と同じように無理をしようとしていたのです、きっと。
 過去からの古いつながりは、付き合いの長さ・それだけで貴重です。でも、今となってはもはや自分が必要としていないつながりも、実は多いのです。つい欲張ってしまいがちですが・・。最後はそんなことを考えさせられました。
 (お題をお借りしましたので、一応。)

あなたのことはそれほど 1 (Feelコミックス)

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 都議選が終わりました。グリーンで統一した政党に風が吹いて、圧勝という結果でした。
 一方で政権与党には逆風が吹き荒れました。選挙妨害だ、とおっしゃる党幹部もおられましたけど、全部、安倍ちゃんの責任ですよね。やはり。
 一党独裁政権下、マスコミは事実上の言論統制で政権への表立った批判ができなかった鬱憤を晴らすかのように、ここにきて加熱する週刊誌報道に乗っかって批判的報道一色に傾いているような気がします。
 そんななか、安倍ちゃん自身は秋葉原での「帰れコール」に、逆ギレ。議会での国会議員相手ではなく、とうとう「一般市民」を相手に「こんな人たちには負けない!」ですって。取り巻きたちの粗相の数々はともかく、最後の最後に首相自身の(一部)国民に対してのあの発言・報道で、どれだけ多くの人々が反自民に動いたか、ご本人は今もわかっていないでしょう、おそらく。
 国民の声を真摯に受け止め、反省すべきは反省する謙虚な姿勢こそが、国を率いる立場にある人にはあってしかるべきです。
 それとは真逆で、最後に国民に悪態をついてその場を逃げ去る首相の姿に、本当にがっかりしました。その結果が、この都議選だったような気がしてなりません。
 自分を批判するものはみな、敵。これってどこかのお騒がせ大統領と一つ片だな、と思えて暗澹たる気持ちです。
(お題をお借りしましたので、こちらも一応。)

逃げるは恥だが役に立つ Blu-ray BOX

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ダウントン・アビー ファイナル・シーズン DVD-BOX 黒柳徹子さんも、ファンだとか。
 本当に、面白いんです。この群像劇。いま、日曜日の夜にNHKでファイナル・シーズンを放映中。
 19世紀末から20世紀初頭の貴族の屋敷(お城)を舞台に、そこに住む一族(メインは三人の娘)を中心に、毎回華やかな貴族階級の生活の中で起こる様々なエピソードが満載。のみならず、その屋敷に仕える大勢の使用人たちも入れ替わり立ち代わり、エピソードの主役として登場してきて、それらが同時進行で進んで行くわけですから、最初は登場人物が多いのでついていくのがやっとこさでも、一度ハマると本当に中毒になるのです。中には、ゲイの下僕がいかにも〜、なイメージ(蛇のような冷徹なずる賢さを持つヒール役)で登場してきて最初は“う〜む・・・”という感じだったりもするのですが、その彼が、屋敷の子供たちにはすこぶる優しくて人気者だったりして、ひとりの人物を描くにも多層構造でキチンと「ひとりの人間」として捉えらえるようになっていて、そこがとてもリアリティのある面白さにつながっているんです。
 朝ドラの「ひよっこ」も、沢山の登場人物が面白エピソードを次々と提供してくれて、私はとても面白く観させてもらっているのですが、こちらはいかにも「日本的」なノンビリ平和な面白さで、「ダウントン・アビー」のいかにもイギリス風な骨太な面白さからすると、人物像の描き方がやや平面的(イイ人ばっかり)で、少し物足りなくなってしまうのです。
 貴族がどのような暮らしをしていたか、豪華な装飾品や華麗なファッションはもちろん、豪奢な生活の裏に隠れた苦悩(所有する土地を管理し、利益を産み続けるにはそれなりの才覚が必要)などもしっかりと描かれていて、勉強にもなります。
 テレビシーズンは残すところ、あとわずか。でも一見の価値あり、オススメです。残り少ない回で、複雑なストーリーについていけるかどうかは別として(苦笑)。
→「ダウントン・アビー公式サイト