胃カメラ呑んで、また酒を呑む。

 先日、胃カメラを飲みました。“飲みました”なんて、いかにもサラっと書きましたが、実際は太いチューブを喉にギューギュー押し込まれて、ゲーゲー言いながら、頼んでもいないのにお腹の中をあちこち探られたわけです。涙ボロボロで。。。
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 残りの人生、元気でいられる限り美味しいお酒を飲みながら美味しいものを食べて過ごせたら、それだけで幸せよ!などと悪態つきながら私、連日のひとり酒を続けてきたわけですけど、やはり何事も節度が大切ということなのか、7月の定期健診で見事に引っかかりまして。「慢性胃炎の疑いあり」とね。
 自覚症状はあったのです。毎朝、起きると胃が重くて、なんだか胃の中にもう一枚袋を飲み込んでそれが胃の中でザラザラと動いているような、そんな感じ。マズイよなこれ、とは思いながらも、時間がくれば何事もなかったかのように我が物顔で訪れる「旺盛な食欲」にほだされて、ついつい食べ過ぎ、飲み過ぎを繰り返してきたわけですね。
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 胃カメラでの検査結果は幸い“胃が荒れています”という、当初の健診結果以上のものは無かったのですが、こんな能天気な私でさえ、もしも…の結果をどこかで恐れていたのでしょうか、病院を出たあとの開放感は格別で、思わず歩きながらアステアのようにステップでも踏んでしまいそうな気持ちになっていまして、我ながらその単純さに驚いた次第です。もちろんその日の夕餉にはここぞとばかりの肴がテーブルに並んだ事は言うまでもありません。
 そして、さすがに検査まで飲酒を控えていたせいか、翌日からは胃の方も絶好調。違和感はほとんど現れなくなりました。ゲンキンなものです。
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 そう、苦しい検査も、その結果も、本当はすごく怖かったのですね、私。意識していない振りをしていても。
 50代を迎えて、もう自分のキャパとしてはそれなりに出来ることはほとんど経験出来たように思っていたし、自分としてはいつ死んでもいいかな、などと考え始めていたのですが、どうやらそれはポーズでしかなかったようです。言ってみれば悟りきって平然と死に向かえるカッコいいオトナのフリをしていた、というだけ。いざフタを開ければこんなにも死を恐れ生に執着していた私だったわけですね。オーバーでなく。
 胃カメラ検査を通じてのほんの些細なエピソードではありますが、つくづく自分の本心をいちばん理解できていないのは自分なのかもしれない、そんなことを気付かせてくれた体験でした。
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 昨年、宮沢りえの熱演で話題になった映画「湯を沸かすほどの熱い愛湯を沸かすほどの熱い愛 通常版 [DVD]で、宮沢演じるガンに冒されて余命数ヶ月を宣告された主人公が死を覚悟しながらも気丈にかつ淡々と生を重ねていく姿に観る者は圧倒されるのですが、終盤、死の直前にその主人公が
「生きたいよ。まだ死にたくない!」
と泣き崩れるシーンには、心をかき乱されるものがありました。
 ああ、やっぱりそれがきっと人間なのだな、と。自分も同じだと。
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 そして私、まだまだやり残しがいっぱいの半端人間であることを自覚をしながらも、だからと言って欲張らず、やはり今までと変わりなく無理せず残りの人生を生きていこう、と改めて強く思ったのです。
 取りあえずこれからも少しずつ巷に星の数ほどある未知の美味い食事処を見つけだし、機会に恵まれれば素敵な人々との美味しいお酒を酌み交わしていこうと。
 死ぬまで残された間に何かを成し遂げようということは、生への大きな動機づけ、意味づけには違いありませんが、それがまた重い荷物を再び背負うことにもなり、いざそれが達成出来なければいたずらに様々な「執着心」を呼び起こすだけような気がしてしまうのです。それは、肩から荷を降ろして坂道を下りて行く過程にある五十路オトコの自分が望む生き方とは、やはり違っているのですね。
 そして結局最期は思い切り弱音を吐きながら、人間らしく死んでいく決心をいたしました。
 これも一種の開き直りなのですよね。