いざ、久々の海外へ。スウェーデン旅行〜本編〜

 今回のスウェーデン滞在日数は6日間。そのうち5日間はストックホルム中央駅から歩いて15分ほどの距離にある友達のアパートメント(アパートとは言っても石造りの重厚な造りの建物です)でご厄介になって、あと1日はスウェーデン第2の都市、ヨーデポリのホテルを予約していました。
 11月のスウェーデンの気候は、最高気温がやっと摂氏に届くという感じで、寒いのは確かなのですが、東京の真冬の朝晩に感じる、いつの間にヒタヒタと忍び寄って身体を侵食していくような厭らしい寒さではなく、どこか毅然とした寒さとでも言いましょうか、そうした気候の厳しさなど歯牙にもかけずに最先端の発展を遂げる大都市・ストックホルムそのものを表す気候、という印象がありました。そして街を背筋伸ばして颯爽と行き交う老若男女は、誰もかれもが八頭身のまるでモデルのような体型で、寒さの中で一層、凛とした印象を受けました。

 現地の友達の話では、厳しい自然の中を生き抜いて勝ち残った今のスウェーデン人たちは、優性遺伝の法則で強靭な精神と見た目の美しさを勝ち取ったのではないか、とのこと。確かに、ストックホルムの美しくロマンチックな街並みを歩きながら、横目ですれ違う美しい人たちを見ていると、下世話な表現を承知で言わせて頂ければ、私にはまるでディズニーランドのパレードでモデルたちが演じるシンデレラと王子様を見ているようで、どこか現実離れした感じもありました(笑)。
 私がスウェーデン旅行をすると周囲に伝えたとき、自動車会社に勤めるある知人は「とにかく合理主義を突き詰めた国だよ」と言っていました。現地の友達は「スウェーデン人は物事を割り切って考えていて、時に冷たく感じるくらいだ」とのこと。そしてそれは恐らく、厳しい自然環境を生き抜く中で培ってきたものかも知れない、とも。

(↑広場の花屋さん)
 一方スウェーデンに対する日本人の抱くイメージとしては、近年こそ意趣に富んだデザイン家具や生活用品、色彩豊かなポップミュージックなど、総じて「オシャレな国」というところかと思いますが、外せないのはやはり「福祉国家」であるということでしょう。消費税25%という、日本だと大ブーイングが起こりそうな税率を適用してまで、老後の安泰のみならず、子育てにも手厚い支援制度を施してそれでも経済を回して発展させてしまうという、社会システムとしてはウルトラCとも言える離れ業を成し遂げるには、そうした合理的な“クールヘッド”を、政治家だけでなく一般市民も持ち合わせていなければ成立しないはずです。(実は本来、福祉に携わる人には一般的に“クールヘッド”と同時に“ウォームハート”が必要、とも言われていまして、スウェーデン人が果たしてその両方を備えているのか、というと、そこまでは残念ながら私にはわかりませんが。)

(↑ストックホルムの広場のガラクタ市で売られていたサンタ人形)
 スウェーデンの先進的な部分で象徴的なところでは、私はストックホルムのアーランダ空港に着いてすぐ、2万円ほどを現地通貨のクローネに両替したのですが、結局、旅行最終日までそれを使うことはありませんでした。なぜかと言うと、駅の切符売り場はもちろん、スーパーマーケットや町はずれにあるお菓子屋さんでさえ、すべてカード決済OKなのです。ようやくスイカスマートフォン決済が都市部のコンビニで可能になってきた程度の日本では、考えられませんよね。
 そして、街で見かけるイクメンの多いこと。(もとい、イケメン・イクメンでした(笑)。)若いパパが並んでベビーカーを押しているような光景を何度も見かけました。これは、男女同権、いわゆる“セックス・フリー”(←昭和の時代に言われていた「北欧に行けばフリーなセックスができる!」というのは、これが間違って伝わっただけの「都市伝説」かも?と友達は言っていました(笑))が究極なまでに進んでいるからだそうで、性差別をせず、皆で社会を支えていくという、どこかの国が今更提唱し始めている「一億総活躍社会」が、スウェーデンではもうとっくに形になっている、ということのようです。

 日中は子供を無料の保育園に預けて、年老いた両親はケアの行き届いた老人ホームに預けて、労働人口層に含まれる人々は男女区別なく皆が働いて賃金を稼いでいるわけですね。たとえば福祉職場で働く人々にしても、日本のように働く側のボランティア精神に頼って低賃金で我慢してもらうのではなく、その道のプロとしてふさわしい賃金収入が確保できるわけです。そして、仕事が終われば人々は高い税率にいちいち文句など言わずに、分に見合った消費行動に移り、それが税収に繋がる。一方、選挙で男女バランス良く選ばれた政治家が作った政策に基づいて、税金は然るべき場所で使われていく。そんな仕組みなのですね。細かく見れば様々な問題もあるのでしょうが、構造的には本当に合理的な、先進的な社会が出来上がっているのだろうと思います。

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 ところでいま、日本では「ありのままに、与えられた環境でシンプルに生きる。」といったテーマで、あちこちのコラムで「北欧的生き方」が取り上げられています。「シンプル≒合理的」という意味なのかもしれませんが、私が今回の短い滞在で感じたのは、カフェで寛ぐ人々(これは現地の人々の日課でもあり“フィーカ”と呼ばれます)をはじめ、街を歩く人々もそれこそ老若男女問わず、とても楽しそうにお隣とお喋りしているのです。これは友達曰く、冬はとにかく夜が長くて(11月で言えば朝8時にやっと日が昇り、午後3時ころにはもう暗くなってしまうのです)、家に籠りきりでは気分が沈んでしまうので、とにかく積極的に外へ出て、人に会ったりして楽しんでいるのだそう。そう考えると、確かにシンプルな行動ではありますね。決して無理はせず、ありふれた日常に楽しみを見出す感じ。またスウェーデンでは、どこでも店に入ったときに店員さんと「ヘイ!」と挨拶する習慣があって、私も最初は少し照れ臭かったのですが、慣れるとそれがあることで何となくお互いの距離が縮まる気がして、買い物が余計に楽しくなるのも確かなように思えました。

(↑ガムラ・スタンの細道から夕闇の空を望む)
 ストックホルムでの滞在時に、私は友達の案内で「魔女の宅急便」の舞台とも言われる旧市街(ガムラ・スタン)の街歩きをしたのですが、確かに古いながらも色取り取りな石造りの建物が立ち並ぶ街はどこも美しく、いかにも北欧という印象でしたが、私には正直なところ特別な感動はなく「ふーん、キレイだな」と感じた程度でした。どこを見ても、何となく既視感があるのです。なぜだろう?とそれを後になってよくよく考えてみたら、こういうことでした。つまり、「日本の街並みはいま、どんどん北欧化している」ということ。例えば吉祥寺とか、下北沢とか、自由が丘とか。。。石畳の舗道を中心に若者向けのコジャレたお店が並ぶ新興商店街はどこもかしこも、もしかするとモデルはここ(ストックホルム)なのかもしれない!ということに気付いたのです。
 つまり、日本はいま、庶民が気づかぬうちに急激に北欧化を目指して進んでいると言えるのかもしれません。街も、もしかしたら社会のシステムも。しかし、日本の政治が本当にそれを実現できるのか、日本人がそんな合理的なやり方を受け入れられるのか?と言えば、それは難しいかもしれないですよね。まず第一歩、「男女同権」から始めないといけませんから・・・。
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 今回の旅行ではストックホルム以外に、スウェーデン第二の都市、ヨーデポリ(Goteborg)を訪問しました。日本で予約していた飛行機(SAS)で向かうはずだったのですが、ここでハプニングがあり、空港行きの高速鉄道が途中で線路のトラブルがあって運休となってしまったのです。慌ててストックホルムに引き返して、長蛇の列が出来ているタクシーはあきらめてバスで空港に向かうも、もちろん予約していた飛行機には間に合わず。バスの車中から遅れることを航空会社に連絡しようにも私のスマホは国際電話仕様ではないので電話は使えず、おまけにこの日の朝、ネットでチェックインを済ませてしまっていたのが運の尽きでした。「まあ仕方ない、旅にハプニングは付き物」と自分に言い聞かせて、涙を呑んで空港カウンターで次のフライトを予約し直したのでした。

(↑私立博物館のカフェ。ここで昼食を取りました。)
 結局、11時前に到着予定だったヨーデポリにたどり着いたのは14時過ぎになってしまったわけですが、いま振り返るとその日の午前中、異国の地でハプニングに出くわして、自分独りで駅やら空港を走り回って、ヨーデポリまでの道行きをなんとか確保できたというこの体験は、自分にとって本当に貴重なものになったような気がします。
言葉は完璧に話せなくとも、こっちが必死に伝えようとすれば必ず伝わるもの。
むしろ、伝えたいことは言葉に出す、それが大事。
恰好つけて自分一人で解決しようと思ってはいけない。
まわりに助けを求めれば、何とかなるもの。
今更ながらではありますが、改めてそうした体験をすることで、新たな自信につながったのは確かです。



(↑趣あるヨーデポリの街。)
 さて、そのヨーデポリですが、中世から続く古い港町で、日本で言えば横浜や神戸の雰囲気に似た、とても情緒のある街でした。私としてはお伽話の舞台のような印象のストックホルムよりも、むしろこのヨーデポリの方が居心地良く感じました。この旅行を通じて、ヨーデポリに着いた日だけ青空が覗いたことも、大きかったかも知れません。ひとり石畳の続く古い街を歩き回り、どこか懐かしい街の空気を存分に堪能することができました。
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 私にとってのスウェーデン旅行は、ありきたりではありますが、これまでの自分が蓄積してきたものの再確認と、後半生に向かう上での、新たな自分を発見する重要な行程の一つだったのかも知れません。そのような経験の場として彼の地に呼ばれた、今はそんな気もしています。

(↑ストックホルム市の図書館は、まるで「宇宙図書館」。)