血の縁(えにし)

 歳を重ねるごとに「血の繋がり」の強さというものを感じるようになってきた。
 
 ワタシ、小学生の卒業アルバムで将来なりたい職業として「しゃべる仕事」と書いたの。それを見て、家族の大人たちは、笑ってこう言ったのだ。
 「何にもしゃべらないこの子がしゃべる仕事に就きたいなんて、どういうつもりなのだろうか(不思議だ)」とね。今でいうとプチ虐待?いいえ、違う。自分でも、そう言われて当然と思っていたから。
 
 そう、子供の頃からワタシは口が重い性質(たち)で、人見知りが酷いばかりでなく、親にもなかなか本音を言わないような子だった。その一方で、なぜか人前に立って何かを発表するときだけは、スラスラと言葉が出てくることが自分でも不思議だったのよね。だから、教師からは決まって「大人しい子」だという評価を受けながらも、学校行事では何かを発表したりする場合だけなぜか、生徒代表として選ばれたりしたのだ。そして、それを褒められたりもしたから、「しゃべる仕事」を夢見ていたのかも知れないと、今はそう思う。
 成人して就職してからも、引っ込み思案な性格はなかなか治らなかったけれど、やはりなぜか会議やイベントの司会を頼まれることが少なくなくて、やはりそれが不思議だった。
 
 このお正月、いま90歳近い叔父の話が出て、その叔父が以前、地方局でラジオのDJをしていたことを姉から初めて聞いて「そうだったのか」と腑に落ちた。「しゃべる仕事」のルーツはそこ??もしかして、血がワタシを動かしていたのだな、とね。
 そのうえその叔父、放浪癖があって、今の奥さん(ワタシの叔母)と結婚する前はあちこちを放浪して色恋沙汰も数知れず、おまけに結婚してからさえフラッとどこかへ旅に出てしまい、行方不明になったことがあったとの話。
 うわ、ワタシ、叔父さんに思いきりシンパシー。もしかしたらとても似ている!
 
 以前、別の叔父から、我が家の家系で昔、歌舞伎か何かの批評を書いていた人がいた、という話を聞いたことがあった。そんなことも思い出して。このブログでうだうだと書き連ねていることにも何となくそこに繋がりを感じたりして。結局、自分が興味を持ったり得意にしていることって、もしかすると全部「血」の仕業かもしれない、そんな風に思えてきてね。
 考えてみればもともと好きでなければ、何かに一生懸命に取り組むなんてことは難しいし、得意なことだからずっと続けられるわけだし。
 でも、なぜ、それが好きで得意なのか?それは自分では説明できない事であり。
 つまり、その答えが、「血」なのかもしれない。と。
 
 そんなワタシ、50を超えてから急に普段でも誰彼構わずフツーに冗談交えた会話が出来るようになってきていて、自分にもこんな一面があるのかと、最初は驚いたりもしたのだけど、実はこれ、客観的に見てみると晩年の父親にそっくりなのよね。どんな人にもテキトーに合わせてお話しして、一見社交的に見えなくもないけれども実は、誰にも心を開いていないという・・・。どんどん似てきているんです、父に。記憶の中の父親の年齢に自分が到達してからは、特にね・・。
 
 ですからね。自分には何も取り柄が無い、なんて嘆いている若者たちも、自分が生まれるまでに数多いらした先祖の皆様の多様性を考えれば、確実に「血として受け継がれている何か」があるはずなので、ある意味、期待半分、一方では動かしがたい宿命のようなものとして諦め半分で、その「何か」に賭けてみるのも良いのではないかと思ったのよね。それを恨むべきものではなくて、感謝すべきものとして、ね。
 
 ちなみに我が家系は「お妾さん」が非常に多かったこともわかっておりまして、浮気症の遺伝子は確実にワタシ、受け継いでいるようです。。残念ながら(苦笑)。