メモランダム2018.7.16

  • 自然災害の時代

 このたびの豪雨災害に遭われた皆さまにお見舞い申し上げます。

 実はその一週間前に私、用事があってとある甲信地方の観光都市に向かう途中、乗っていた電車が豪雨の影響で立ち往生するハプニングに見舞われまして、ああ、今はそういうことがいつでも起きる時代なのだ、と改めて思い直したばかりでしたので、この災害をとても他人事に思えないのです。
 夜21時、辺りは真っ暗な中、単線の田舎駅に停まったまま動かない電車。滝のように降り続く雨が、車窓を強く叩いては砕け、時おり稲光に照らされながらガラス窓を流れていくのをぼんやり眺めながら、ただ次の展開を待つばかりだった私。そのなんとちっぽけな、心もとない存在であることか。考えていたのは「できることなら早く雨が止んで、平常に戻って欲しい。」ただそれだけでした。
 結局そこに小一時間、停まっていたでしょうか。その間にローカル線の車内放送で得た情報は、乗っている電車はこの先の途中駅止まりとなり、私の目的地である終点駅までは運転されなくなったこと。そして、その駅で切符の払い戻しがあること。それだけ。
 この先の雨の状況はどうか、途中駅で降ろされる我々はどうすれば良いのか、そうした「サバイバル」(!)のための情報は一切なく、「あとはそれぞれで何とかして下さい」と言わんばかりの対応で、本来であれば乗務員に詰め寄りたい場面ではあったのですが、そもそもは天災であって、乗務員も混乱している様子が明らかでしたので、そこは諦めざるを得ませんでした。
 そしてようやく電車がノロノロと動き出したころ、山奥ながら携帯は通じましたので、泊まる予定だったホテルのキャンセルと、今日泊まる場所を探すことに必死なワタシがいました。そして、豪雨の状況、様々な警報が周辺地域に出されていることもスマホのニュースサイトで初めてわかってきました。まさに、スマホ大活躍。いまや、スマホは生きるための必需品であると言わざるを得ません。
 近年の災害は、「情報弱者」が「災害弱者」でもあると言われています。たとえば自治体や鉄道会社の人々がいくら防災訓練を受けていたとしても、多くの場合は自分と同じく、実際の危機的場面は彼らにとっても「初体験」であると考えざるを得ないでしょう。だからこそ自分がサバイバルするために必要な情報は、上から降りてくるのを待つのではなく自分から取りに行かなければならない、ということ。実際に世の中、効率化(=人減らし)の流れに乗って、どんどんそういう方向に進んできているような気がします。
 まあたしかに、考えてみればメディアなど存在しない時代には、大災害があったとしても生き残れるかどうかは、すべてはその人の「運」や「勘」だったのでしょうけれども。
 でも本当に、それで良いのでしょうか。。。
 近年、毎年のようにどこかで大災害が起きています。そして残念なことに多くの方が亡くなっています。
 そんな未曽有の時代を迎えているこの国で、本来であれば防災に向けての知識と対応力は年々社会に蓄積され、減災へと向かっているはずで、実際にそうした取り組みは少なからず進んでいるにも拘らず、それ以上に気候変動、地球の変化のスピードが早く、それに社会が追いつけていないのではないか、そんなことを感じています。
 2020年のオリンピック開催を前に浮かれている場合ではないでしょう?と思えてならない今日このごろです。
 

  • 終活とは

 ワタシ、ちょっと思うところがありまして実は今年に入ってずっと「終活」を念頭に過ごしてきました。そう、人生の終りを見据えていく、生き方です。残念ながらまだまだその本質はほとんどつかめていないのですが、今回、災害に遭いまして(幸い命に係わる切羽詰まった状況では無かったわけですが)、初めてわかったことがあります。
 「終活」している自分。そんな自分が、いざ緊急事態に遭遇したとき、必死になって一晩身を寄せるための宿を探しているわけです。それも、「必死」どころか、「嬉々として」。
 そこには、「どう転んでも、この身ひとつ。なるようにしかならない。」と、どこか運を天に任せるような気分になれることを、むしろ楽しんでいる自分がいたのです。とても自然に。無意識のうちに。スレスレの非日常を楽しんでいる自分が。
 つまりは、いずれ迎える死(天の時)を前にして、その時までは自分なりに「生き延びる」選択をしていくこと、それこそが、終活(幕引きに向かう生き方)なのかもしれない、なんて。
 今回、そんなインスピレーションを頂けたことに感謝して、もうしばらくこの命につきあってみよう、なんて、今頃になって考えているのです。