愛聴盤1「横須賀ストーリー」

hiroc-fontana2005-03-06

 山口百恵である。70年代を代表する大歌手。あまりに大きすぎて俺ごときが百恵さんを語るのはおこがましい気がするので、それについては平岡正明氏の著書や他の膨大な歌謡曲サイトにおまかせするとして、今回はこの愛聴盤の感想など。
 76年発表の本作は、70年代の隠れた名盤の多くを蘇らせたソニーレコードの名企画「CD選書」シリーズの先頭を切って、90年にCD化された。実はそのCDで初めてこのアルバムを聴いた。このアルバムは、宇崎竜堂・阿木耀子コンビのペンによる前半(A面)6曲、三木たかし千家和也佐瀬寿一ら当時の百恵を支えた作家陣による後半(B面)6曲という構成。何よりも前半と後半の彼女の輝きの違いが圧倒的で(もちろん素晴らしいのは前半)、宇崎・阿木コンビとの出会いが山口百恵にとっていかに大きかったか、ということを知るには良い1枚である。
このアルバムの前年、1975年は、彼女にとって女優として大きく開花した年だった(映画「潮騒」、ドラマ「赤い運命」など)。それが最終的に隠れた傑作「ささやかな欲望」(75.9月)での過剰なまでの感情表現で初めて「歌」に結晶した。そしてこのアルバム(特に前半)での百恵さんは、より伸びやかで自由になった声を縦横無尽に駆使して、「歌で表現することの喜び」を十二分に謳歌しているように聴こえる。平岡正明氏の著書「山口百恵は菩薩である」では、美空ひばりの歌をバイオリンに例え、それに対して百恵さんは「ビオラのよう」だという。実際、この時期の百恵さんは、初期の平板な少女声から活動後期にあるような野太い大人声への過渡期にあって、まだ高音域がやや平板になるきらいはあるものの(アルバム後半の「いま目覚めた子供のように」などでは顕著)、しかし全体的には格段に厚みを増した、かといってまだ疲れの一切無い、とてもツヤのある美声を聞かせてくれている。俺としては、ビオラというよりはチェロのような印象だ。そして、トップに上り詰め、弾ける直前、限りなくピュアな感性を保持したまま、「表現すること」に純粋かつ貪欲に立ち向かう百恵さんが、ここにはいるのである。とにかく、この時期にしか聴けない百恵さんの歌声だ。

  • このアルバムの「この一曲」。

 アルバム1曲目「陽炎」。この1曲が聴けるだけで、このアルバムは「買い」だった。百恵さんがなぜ、あまりモノマネの題材にならないのか?それは彼女の日本語が正しく美しいから。そう、正しく綺麗な日本語は、ヘンなクセが無いから真似できないのだ。(特定のアナウンサーのマネなんて、なかなかできないでしょ?)そんな彼女のうっとりするほど美しいナレーションで始まるこの曲で、百恵さんは「ガ行」を完璧な鼻濁音で歌っている。そして歌詞も慎ましやかな「ですます」調。ここでの百恵さんはどこまでも清く美しく、そして静かに情感を醸し出してゆく感じ。何度聴いても百恵さんの巧さに驚嘆させられるばかりだ。メジャーキイのゆったりとした曲調が、かえって切なさを倍加させる。
 ただ、「若さが眩しい」という「その微笑を二度と見ることができないあなた」は一体どんな人物なのか、シチュエーションがややわかりづらいところがあるのだが、当時17才の百恵さんを考えると「先生と生徒の禁断の愛」とするとしっくりくることに気付いたのは最近のことである。(参考:敬愛するアンテナ「ナツメロ茶店」をご覧あれ。)