石川ひとみ「ハート通信」〜というか拓郎論

hiroc-fontana2006-03-25

 1979年8月発売(作詞:松本隆、作曲:吉田拓郎、編曲:馬飼野康二)、彼女の5枚目のシングルだ。オリコンチャートでは100位にも入らなかったけど、当時から俺が大好きだったこの曲、もとはアグネス・チャンのアルバム曲のカバーで、のちに同じくカバー曲「まちぶせ」で大ヒットを飛ばす石川ひとみさんの、その成功を予感させるような1枚だ。この曲の成績は見事に大コケだったわけだけど。
 作曲は大御所吉田拓郎。拓郎氏のように、フォーク・ニューミュージック畑で自ら大成功しながら、他方で本職の歌手への曲提供でも大きな成功を収めているアーティストといえば、70年代では宇崎竜堂、小椋佳、みゆき、80年代以降でもユーミン、まりや、玉置浩二財津和夫など枚挙にいとまが無い。そんな中で、拓郎は「歌謡曲作家」として、最も実力を発揮した一人ではないかと俺は思う。例えば光ゲンジにおける飛鳥とか、キ○キの「硝子の少年」での達郎のように意図的に歌謡曲を「狙って」作る手法とは一線を画さないといけないし、80年代のユーミン・財津などは最初から歌謡曲臭を排したアイドル(聖子)を売る手段として起用されていたわけであるから、もともと勝負するステージが違っている。つまり、歌謡曲フィールドで正々堂々と「作家」として勝負して最も成功を収めたアーティスト、それが拓郎氏ではないかと。(それに続くのがみゆき、玉置あたりかな、と思う。)
 そんな拓郎歌謡曲にどんな作品があるかというと、「襟裳岬」を筆頭に、浅田美代子「じゃあまたね」、由紀さおり「ルームライト」、中村雅俊「いつか街で会ったなら」、梓みちよ「メランコリー」、キャンディーズ「やさしい悪魔」「アン・ドウ・トロワ」、石野真子狼なんか怖くない」、太田裕美「失恋魔術師」、秀樹「聖・少女」、マッチ「ああ、グッと」などなど。提供先のバラエティに改めてビックリだけど、大ヒットは勿論、それ以外の曲もなんと名曲ぞろいだこと!記憶に新しいところではキ○キの「全部だきしめて」があるけど、これはもう歌謡曲が死んだ時代の余興、ね。
 やっぱり歌謡曲ってのは、日本人の耳を奪う哀愁のサビメロディーが不可欠だと俺は思っているんだけど。俗に言われる拓郎節っていうのは、その不可欠である哀愁とか、郷愁(ノスタルジイ、てやつね)を呼び覚ます「ド真中」、スイートスポットに当たってる、そういうことなんだろうな、と思うのだ。例えばそれが自作自演の中では「ゆかたの〜お〜きみ〜は〜〜(旅の宿)」とか「それ〜でも〜まあ〜てる〜(夏休み)」とかいう、もろセピア色の懐かしい世界を構築していたから、都会暮らしに疲れた田舎モンの大学生たちに大いに受け入れられた、というのは間違いないだろう。そしてそれは、おしゃれなニュー・ミュージックではなくて、流行歌、やっぱり日本人の心に迫るという意味での歌謡曲や演歌に限りなく近いはずなのだ。
 さて、「ハート通信」。この曲、基本はメジャー・コードながら、哀愁の拓郎節が炸裂。Heart To Heart 逢えない時が長すぎて」の大サビから「心を走る 胸騒ぎ ハート通信ヒュールル」終結前のサビまで、哀愁メロディが怒涛のように押し寄せる。そして松本隆独特の失恋キイワードが巧みに散りばめられた詞、ひとみ嬢の溌剌とした中に湿り気を帯びた不思議なボーカルが相まって、爽やかな哀しみが醸し出される(ところでひとみさんのボーカルって、顔は笑ってるんだけど、どこか寂しい、というか「幸薄い」感じがしちゃうのは俺だけ?)。哀しいけれど、なんとも爽やかなのよね、この曲。爽やかさのカギは、スピード感にある。3コーラスある歌が、3分台で終わっちゃう。これが歌謡曲だよね。ナニゲに馬飼野康二先生のアレンジもヨイのですね、きっと。
 コンパクトにまとまった、歌謡ポップスの忘れがたい名曲だ。