愛聴盤5『早春のハーモニー』南沙織

hiroc-fontana2007-01-01

 あけましておめでとうございます。今年もたくさんの人が間違って(?)このブログを訪問してくれたらいいなと思いながら、少しづつ更新を続けていこうと思っています。
 新春第一弾は恐れ多くもこのヒトについて少し書かせて頂こうかなと。
 日本のアイドルポップスをひとつのジャンルとしてみた場合、その元祖と言われているのが、71年デビューの南沙織。確かにアイドルポップスの歴史をひも解けば、南沙織につながる糸はたくさん見つかるように思う。美少女ながら、おとぎ話の世界の住人ではなく現実的な存在感を主張するルックス。筒美京平による親しみやすい洋楽志向のサウンド。本人のキャラクターと音楽とを一体化したイメージ戦略・・・。
 しかし、断片を切り取ればまさしくアイドルそのものである彼女も、いざ南沙織さん本人を思い起こすと本人のイメージにはどうもアイドルと呼ぶには相応しくない「重さ」がつきまとっていたように思う。彼女が返還前の「オキナワ」の影を背負ってデビューしたこと(当時沖縄で彼女はアメリカかぶれと言われて反感を買っていたらしい)や、活動後期のアーティスティックな活動の印象が強いこと(「人恋しくて」・「春の予感」なんかがそう)や、「あの」篠山紀信夫人に収まった引退の顛末なんかが、そんな印象を強めているのかな、と思う。
 『早春のハーモニー』は1972年12月発売の南沙織5枚目のアルバム。12曲全曲が筒美京平作品で統一されていて、そのうち7曲はカバー。カバー曲のオリジナルはチェリッシュ(「ひまわりの小径」)、いしだあゆみ(「夢でいいから」「あふれる愛に」)、佐良直美(「ギターのような女の子」)、女優の新藤恵美(「恋のゆくえ」)などで、全体にフォークっぽい印象の曲が多いが、これが結構濃い〜出来なのだ。筒美さんの美メロ炸裂の名曲「夢でいいから」にしても、なぜか沙織さんが歌うと、ハスキーな声で淡々と歌ったいしださんのオリジナルよりベタッとした印象になっちゃう。沙織さんって、もともと歌い方にクセのある歌手だと思うのね。強いビブラートや、「ラ行」の「L」の発音が過剰な所とか、「エー」の語尾が「エイー」となるところ(これは最近のアムロちゃんも採用している)とかね。彼女用に作られたシングルのオリジナル作品はそれが特長になっていいのだけど、こと歌謡曲系のカバー曲になるとこれがやっぱり重い感じになっちゃう。そこを考えると、デビュー当時の彼女に歌謡曲路線ではなく、強力なポップス路線を敷いたというのはスタッフの必然的な選択であって、そこから偶然にアイドルポップスというジャンルが派生していったのかもしれないと思うと、面白いよね。いずれにせよ南沙織は歌謡曲とアイドルポップスの分水嶺に立っていた人には違いないということだ。
 この作品、なんと言ってもオリジナル曲が秀逸で、洗練された甘いメロディに彩られた傑作シングル「哀愁のページ」をはじめ、同様の曲調でさらにバカラックサウンドを追求した「ひとりごと」、のちに「早春の港」と改題されシングルカットされた「ふるさとのように」など、フルートやエレピ、ストリングスを多用した洒落たアレンジのミディアムナンバーが多い。その極めつけは「魚たちはどこへ」。コーラスとアレンジが一体化して一気に聴かせる曲全体の流れの良さ。抑制を利かせることで却ってセンスを感じさせるアレンジ。さわやかな中にもフックたっぷりで耳に残るメロディ。有馬三恵子のペンによるダブルミーニングに溢れた深みのある歌詞。筒美フリークの間でも語られることが多い名曲のひとつで、この曲が聴けるだけでもこの盤は価値があるように思う。
 バラバラなようで統一感があり、統一感があるようで実は振れ幅が大きい曲たち。それらはアイドルポップスが生まれる過程で生じた核反応のように、このアルバムの中でいまだに蠢いているような気がする。