桜田淳子『愛のロマンス』

愛のロマンス+6(紙ジャケット仕様)

愛のロマンス+6(紙ジャケット仕様)

 淳子さんの紙ジャケ復刻シリーズ。このブログでは『20才になれば』につづいて2回目の登場です。オリジナル発売は1979年3月5日。
 う〜ん、あ〜ん、え〜と、正直言ってこれは「問題作」っすね。何せ、あの淳子たんがあのクセのある唄いかたで、欧米のクラシックや古い唱歌を唄っちゃおう、というのだからね。もちろん俺としては、彼女のボーカルの何とも表現しがたい魅力に惹かれている一人として、淳子らしさがこれでもか!とばかり前面に出ているこのアルバムはとても楽しめたのだけれど、これはやっぱり万人ウケする内容ではないかも。
 ライナーノートによれば、当時の淳子には「エレガントさ」を演出したいというイメージ戦略があって、その一環で出されたのがこのアルバムだそうだ。確かにオープニングに収められた「きかせてよ愛のことばを」や前半の「谷間のともしび」「夢見る人」などは、とっても丁寧に譜面を追って唄う淳子さんがいて、聴いていると昭和40年〜50年代頃の清楚な文学少女が音楽室で歌っているような印象で、棒のように唄う(笑)淳子さんではあるのだけれど、それはそれでなかなか上品な印象でイイのよね。どこかかつての吉永小百合さんの歌にも通じるような。でも、後半の「野ばら」とか「スワニー河」とかまで曲が進むと、何だか段々と支離滅裂な世界へと突入していくのよね、これが。淳子の歌唱はどんどん平板になって、彼女の歌心が全然生きてこない。何でだろう?と考えてみたら、どうやらアレンジの失敗のように思えてきたのだ。このアルバム、前半の編曲は青木望氏で、ストリングス中心のイージー・リスニング風アレンジなのだけど、後半の福井峻氏はいかにも70年代後半の香りプンプンのフュージョン風のアレンジを施していて、これがはっきり言って違和感の元凶。妙に「オシャレ」っぽい(今聴くとちょっとダサイ)装飾過剰なサウンドと、妙に古風な日本語詞とのギャップに引き裂かれて行き場を無くした、可哀想な淳子たんだったのだ。
 でもね、このアルバムには終始一生懸命に「音楽」に取り組む淳子さんが確かに居て、だからこそ、クラシックな名曲たちの持つメロディーの美しさが感動的なほどに伝わってくるのは確かなのよね(「アニー・ローリー」「埴生の宿」「ブラームスの子守唄」etc.)。だから、文句言いつつも、いつの間にか俺にとって愛聴盤になっている感じのこの作品。
 ところで、クレジットに「森●一」とあるけど、これは過去の企画アルバムから淳子さんが他の歌手の持ち歌をカバーした録音を一気にこのCDにボーナス・トラックとして収録していて、その中の1曲(「誰よりも君を愛す」)で彼とデュエットしてるからなのね。これがびっくりするほどの艶めかしいファルセット・ボーカルで、淳子さんとムード歌謡との相性の良さに驚きの1曲なのだ。これはオススメ。他にも井上順の「昨日、今日、明日」とか、あべ静江「みずいろの手紙」、果てはヒデキの「ブーメラン・ストリート」なんかもカバーしていて、これらのバラエティに富んだ曲たちをすべて見事にジュンコ色に染め上げていまして、それはそれは見事です。
 歌の巧さって、何なのだろう?ボーナストラックも含めて、それをもう一度考えさせられるアルバム。だからこその「問題作」なのよね。