山口百恵「初恋草紙」

hiroc-fontana2008-03-06

 その人が構築する世界、変わらない世界を愛するのが自作自演系アーティストのファンであるとするなら、原石のような「素材」がどんどん変化して輝いていく、その変化のさまを楽しむのが、アイドルのファンなのではないかと思う。
 その意味で、山口百恵をリアルタイムで体験できた僕らの世代(のアイドル・ファン)は、本当に幸せだったと思う。そう、山口百恵こそ、アイドル中のアイドル、アイドルの理想型だと思うからだ。
 デビュー当初のどちらかと言えば野暮ったい印象から、きわどい歌詞でまず世間をアッと言わせ、暗い瞳の奥に何かを秘めた危うい少女のキャラを確立(青い果実〜ちっぽけな感傷)。その後、若手正統派女優としてのキャリアを重ねながら歌謡バラード路線で表現力を開花させ(冬の色〜ささやかな欲望)、宇崎・阿木夫妻との出会いによりブレイクスルー(横須賀ストーリー以降)して、後期は何をやってもサマになる、シロートには手の届かない「大スター」として君臨することになる。
 この、幼虫から蛹を経て、美しい蝶に変身するまでの過程を、途中で頓挫することもなくデビューから引退までの8年間、現在進行形で完璧に見せてくれた人、それが究極のアイドル・百恵さんだったわけだ。
 今、百恵さんのファーストアルバムを聴くと、かつて都倉俊一氏が「片手で押さえられる鍵盤の範囲」と言ったとおり、声域は極端に狭く、声量も無く、声は平板で、そのボーカルは全くもって平凡である。しかし、セカンドアルバムあたりから、テクニックは未熟ながら、実にのびのびとした表現力が加わり、のちの名女優・名歌手としての才能の片鱗がアルバムのあちこちで見つけられるようになる。そこが百恵さんの面白さ。例えばセカンドアルバムに収められた森昌子のカバー「中学三年生」などは、軽い演歌風に歌った本家の歌唱のイメージを壊さないままに同世代ならではの解釈を加えた見事な「百恵版「中学三年生」」が出来上がっており、そのさり気ない器用さに、今更ながらに驚かされる。そうした天性の器用さ・表現力に、ボーカル・テクニックがようやく追いつくのは75年末リリースのアルバム『ささやかな欲望』あたりからであるが、翌76年の『17歳のテーマ』『横須賀ストーリー』頃からはボーカルスタイルもガラリと変わり、歌手としても「本格派」の域に入っていく。
 73年のデビューから76年までのこの目覚しい成長の陰には、もちろん本人の不断の努力があったことは言うまでもないけれど、TVドラマや映画出演を重ねる中で、それらの経験を何ひとつ無駄にすることなく貪欲に吸収して自分のものにしていく恐るべき許容力と天性の勘の良さが彼女の中に備わっていた、ということだと思う。地味で野暮ったい印象の少女の中にそのような「大化けする資質」というか、本人の中に埋蔵された優れた才能の鉱脈があることを早くから嗅ぎ取っていた、当時の百恵スタッフというのも、プロ中のプロだったということのなのだろう。俺としてはその辺に古き良き時代の芸能界への郷愁、ロマンのようなものを感じてしまったりもするのだけど。
 もう一つ、百恵さんは理想的アイドルであったけれど、別の角度から見れば理想的「歌謡曲歌手」であったとも言える。プロの作家の作品をバリバリと噛み砕いて自分のカラダを通して表現する人。歌謡曲表現者としては、歌い方も似ているけれど、あの「ちあきなおみ」と同じフィールドにいる人ね。先日放送された「誰でもピカソ」のちあき特集でビートたけしが言っていたのだけど、それは、それ以上やるとクサくなってしまう、そのギリギリのところまで自分を追い込んで演じ表現する歌世界(「プレイバックPart2」のパフォーマンスなんて、まさにそうでしょ?百恵さんだからこそ、カッコいいわけで。)。演技と歌が溶け合った総合芸術であると同時に、ものすごく庶民的な「大衆芸能」でもある。それが出来た数少ない人のひとり、というわけね。百恵さんも間違いなく美空ひばりから続く大歌手の系譜に連ねても見劣りしない一人だったように思う。しっとり系の「秋桜」「いい日旅立ち」からツッパリ路線「イミテイション・ゴールド」「プレイバックPart2」、果ては「ロックンロール・ウィドウ」まで。このダイナミックレンジ、そしてそれぞれの完成度の高さを思えば、それは頷ける話だと思う。
 さて、話はどんどん大きくなってしまうばかりなので(笑)シングル「初恋草紙」に移りましょう。1977年1月21日発売のこの作品は前年(76年)夏の「横須賀ストーリー」大ヒットのあと、佐瀬寿一氏の作曲による「パールカラーにゆれて」「赤い衝撃」をはさんで再び宇崎・阿木コンビと組んだ、2曲目の作品。臨時発売だった前作「赤い衝撃」が予想を上回る大ヒット(50万枚)となったため、「初恋草紙」は曲調の地味さもあってか、24万枚の売り上げに留まり、この曲からわずか2ヶ月後に発売された次作「夢先案内人」の大ヒットに挟まれて、まるでこの「初恋草紙」が臨時発売だったかのような、どちらかといえば印象の薄いシングル作品である。しかし、実はこの曲こそ、まさに蛹から蝶に生まれ変わる瞬間の百恵さんを鮮やかに記録した貴重な作品として、俺は今回、ぜひ紹介したいと思ったのだ。

口紅だけは さしましょう 冬の光が集まるよう
想い出すたび 目を伏せる
肌にくいこむ あなたの言葉 あなたの言葉 (詞:阿木耀子

 曲調はこれまでになく大人びた3連のマイナーで、どことなく演歌にも通じる地味な印象だ。そして散文詩のような難解な歌詞。しかしこの難しい曲を、ありったけの情感を込めて歌いこむ18歳の百恵さんがいる。まるでこの難解でハードルの高い曲を与えられたことによって、「横須賀ストーリー」との出会いで掴んだ「歌で表現することの喜び」を、やっと存分に出し切る場を与えられたかのように、全身全霊で立ち向かう百恵さんがいる。言葉の一つ一つ、低音から高音まで音の一つ一つに、百恵さんの想いが乗っている感じ。その声は実に艶やかで美しく、ビブラートの幅やこぶし回しなどまでが見事に調和し、1曲を通じて全く齟齬が無い。この集中力こそ、蛹を脱ぎ捨てた蝶が飛び立つ瞬間に生じる、生命エネルギーの一瞬の凝縮、まさにそんな印象を受けるのだ。
 「初恋草紙」こそが百恵さん一世一代の名唱、と言ったら反論は多いかもしれないが、この若き表現者・百恵さんの魂から湧き出る躍動感を、是非一度味わってみて。その価値はあると思う。