柏原芳恵「花梨」

 かっしわばらよっしえで〜す。柏原芳恵 プレミアムBOX
 1980年6月に「NO.1」でデビューした「柏原よしえ」は、スタ誕出身、当時まだ15歳、冒頭のようなあいさつがお似合いの、初々しいアイドルのはずでした。でも、当時からそのグラマラスな肉体は、オトコの視線をくぎづけ。何を隠そう、hiroc-fontanaも、当時の柏原よしえの印象といえば、ビキニの水着で腰を振りながら、媚びる様な上目づかいで「NO.1」を歌う彼女なのだ。そう、確かに路線としてはアイドルチックなのに、それにまだローティーンなのに、なぜかすんご〜くエロイ。そんな、どこか奇妙なアンバランスさが、初期の彼女にはあったのよね。
 そのとらえどころのなさが影響したのか、柏原よしえの1年目は泣かず飛ばず、といった印象で、デビュー曲から6曲目まで、阿久悠や都倉俊一、大野克夫など豪華な作家陣の手を借りながらも、ほとんどが地味なヒットに終わっていた。それが2年目の10月にリリースしたアグネスのカバー、第7弾シングル「ハロー・グッバイ」でようやくブレイク。
 私はコーヒーカップ。あなたは銀のスプーンで、私をかき回すの
なんて意味深な隠喩も、2年目でセクシーが板についてきた「よしえ」にはまさにピッタリで、この曲はまさに快心の出来栄えでした。
 そんな感じでようやくトップアイドルの一人に躍り出たよしえさんは、以後、1986年までにトップテンヒットを18曲も出し続けることになる。これは凄いことね。
 80年代アイドルといえば、その牽引車はまぎれもなくセイコさんなのだけど、80年当初、2番手につけていたのは岩崎よしりん、3番手にあの三原順子たん、という感じだったのよね。それが81年になって河合ナオナオがブレイク、続いて年末になってヨシヨシがブレイクして、いつの間にか「セイコ・奈保子・芳恵」が三人娘、みたいに言われるようになったのよね。その後82年組が続々と登場して、最終的にトップ3は「セイコ・明菜・キョンキョン」という図式になったわけだけど、それでも80年デビューの3人娘「セイコ・奈保子・芳恵」っていうのは、なぜかず〜とリスペクトされて残っていたような気がする。つまりは後から誰が出てきても、奈保子も芳恵も、セイコと並んで安定感のある大きな存在だった、ということなのだよねきっと。
 さて「よしえ」が「芳恵」に変わった第一弾シングルが、今回取り上げた「花梨」。谷村新司作詞・作曲の通算11枚目です。82年10月発売で、オリコン最高位は10位。この頃から芳恵さんはグンと歌唱力もアップして、この曲の冒頭の、音符が駆け上がるような難しいメロディーラインも、美しいファルセットを交えて見事に歌い上げている。この曲は一風変わっていて、メジャーとマイナーのメロディーが交錯したり、2種類のサビのメロディーが繰り返されたりするのだけど、少女のコケティッシュさとオトナの女性の妖艶さが入り混じった芳恵さん独特のキャラクター&ボーカルに、この曲のアンバランスな魅力がとてもマッチしているような気がするのね。芳恵さんのたくさんのヒット曲のなかで忘れられがちだけど、俺はこの曲がイチバン好き。芳恵さんはこの後、みゆきさんと出会って代表曲「春なのに」を大ヒットさせるわけだけど、そこに至る通過点、ニューミュージック路線の導入として、谷村さんの「花梨」は重要なターニングポイントだったような気がする。
 いま思えば、芳恵さんって、やっぱりポスト百恵狙いだったのかな、と思う。年齢の割りに色っぽいところや、どこか醒めた印象もそうだったけど、音楽的に言えばその後のドメスティックな歌謡曲路線(のちに松山千春とか五輪真弓からの曲提供もあったのよね)というのは明らかに当時セイコを中心に音楽界を席巻していた、メジャーなポップス路線とは正反対の、つまりは百恵さんなきあとの「歌謡曲」というジャンルの空白部分を埋める存在だったと思うのね。そういった保守的な歌謡曲へのニーズというのは80年代に入ってからも脈々と存続していたわけで、それが芳恵さんの存在理由だったし、安定した人気の裏づけでもあったのかもな、と思うのだけど。
 実際のところ、柏原芳恵さんの場合、シングルヒットに比べてアルバムがほとんど売れなかったというのも、いかにも「歌謡曲歌手」らしいところだなあと思うのだ。あ、そうそう、かの皇太子殿下もそういえば芳恵ファンなのでしたね。なんとなくうなずいてしまうのでした。。。