石川優子「クリスタルモーニング」

 このヒトは、ポプコンことヤマハ・ポピュラーソング・コンテスト出身。1979年、フォーク演歌調の曲「沈丁花」(他者からの提供曲)でデビュー。実際は作詞作曲もこなすシンガー・ソングライターでありながら(セカンドシングルの自作曲「レット・ミー・フライ」は知る人ぞ知る名曲なのよね!)デビュー当時はそのキュートなルックスからアイドル的に扱われていたように記憶している。ポプコン・マイ・リコメンド 石川優子
 確かに愛嬌ある八重歯とか、涼しい目元なんかは石野マコちゃんにも決して負けてなかった気がするし、何より透明感があって良く伸びるその歌声と媚のある独特の歌い回しは、いかにもアイドル的に訓練されている印象があって、今聴いてみてもいわゆるシンガー・ソングライターのものとは思えない、どことなく「芸能臭」のようなものを感じちゃったりするのよね(笑)。
 「クリスタルモーニング」は彼女の3枚目のシングルで、1979年11月発売。本人出演のCMソングということもあって初ヒットを記録(オリコン最高位62位)。そうよね、CMに出ちゃってたんだから、やっぱりアイドル扱いだった、ってことよね。そしてなんとクレジットを見てびっくり!作詞:三浦徳子、作曲・編曲:小田裕一郎ですってよ。初期セイコのスタッフじゃん。なるほどこの曲、頭の中で一生懸命に石川優子さんの声をセイコさんのデビュー当時の声に置き換えながら聴いてみたら、そのまま聖子のデビューアルバム『SQALL』収録曲と言ってもおかしくない感じだわ(笑)。
 さてその後の石川優子さんは自ら作詞・作曲した「シンデレラサマー」(1981年)や、チャゲとデュエットした「ふたりの愛ランド」(1984年)を大ヒットさせて、同時期にピークを迎えていた、松田聖子ら女性アイドル陣とは一線を画す「自作自演アーティスト」として認められて、まずはメデタシメデタシだったわけね。でも「シンデレラサマー」大ヒットまでは、この「クリスタルモーニング」や「ラブイズドリーム」「Kiss Meすうぃ〜と」なんていう、タイトルからしてアイドルチックなシングルをリリースしていた時期があったのよね。ちなみに「Kiss Meすうぃ〜と」の作曲は、全盛期のセイコサウンドの中心人物、大村雅朗氏だったりして。
 こんな感じで、70年代終盤にポッと出現した「ニュー・ミュージック系アイドル」石川優子は、ごく短期間でその魂を見事に聖子にバトンタッチして、役割を終えて自分の世界に戻っていった、という風にも見えてくるのよね。なんだかカッコよくない?優子さん(笑)。
 その後は1990年に引退するまで、80年代を通じてコンスタントに活動を続けたという優子さんだけど、後半の活動についてはhiroc-fontana、全く注目してなかったのよね。彼女がその後どんな曲を産み出していったのかは全く知らなくて、それを今になってちょっと後悔したりして・・・。