森昌子「なみだの桟橋」

 いよいよ当ブログも禁じ手!の演歌に進出でございます。
 とはいえ、今回は曲のレビューというより、ちょっと別なテーマを用意してまして。それは、“歌の熟成”について、なのであります。
 昨今流行りの「セルフ・カバー」ってやつ、俺はあれがキライでね。猫も杓子もセルフカバー。人気のアノ曲に新しい命を吹き込みました。みたいな、キレイ事で飾ってはいるけれど、実際のところ、同じ歌を歌い続けるのに飽きたから、あるいは昔のように素直な声が出なくなったから、アレンジを変えたり歌い方を変えたり、果ては巧妙にキイを変えたりして“リニューアル”しているだけのハナシなんじゃないかな?と思う。そう、歌い手側の都合。大部分はね。
 だから、セルフ・カバーもので「当たり!」と呼べる作品って、ほとんど見当たらないような気がするんだけど、どうかしら?だって、やっぱりファンが求めているのは、リアルタイムで聴いて好きになったレコードのあのアレンジであって、あの張りのある声であって、いささか年季の入りすぎた皺枯れ声や、過剰なビブラートや、ねちっこい感情移入なんかでは決してない、と思うのね。
 さて、そんな中、今回取り上げた森昌子さんの話に移るわね。「なみだの桟橋」は1977年7月発売の23枚目のシングルなんだけど、デビュー5年目を迎えた18歳の昌子さんが、それまでの青春歌謡路線から方向転換、初めて本格的に演歌に挑戦、ということで当時話題になったのね。作詞:杉紀彦、作曲:市川昭介。最高位28位、10万枚のヒット。後に松原のぶえがカバーしてこちらもヒットしたから、地味な曲ながら知名度が高い1曲。
 この曲、音域がとっても広くて、ほん〜〜〜っとに難しい曲なんだけど、18歳の昌子たん、あんな顔して(あ、ごめんなさい。)この難曲を実に軽やかに歌いこなしていて、それはそれは見事なんです。まずは動画でお確かめくださいませ。

 ね?すんごいでしょ?アノひばりさんが寵愛して、私の後を継ぐのは昌子しかいない、と言わしめた歌唱力。あの頃はよく分らなかった俺だけど、オトナになった今だから、その巧さがよくわかる。
 でもね、それから10年後。もうひとつの「なみだの桟橋」があるの。

 この情感。
 これを観ると、1977年当時の彼女がいかに巧くても、やっぱりそれは18歳なりの解釈でしかなかったんだな〜、と思う。86年版は、77年バージョンよりもかなり抑えた歌唱ながら、こっちの方がきっちり「絵」が出来てる感じ。雨の桟橋での別れの場面・・・あの人の思いを受け止めようとしながらも、最後は「行かないで〜」と慟哭するまでのドラマがリアルに再現されるのよね。
 同じ人が同じ歌を歌っても、歌ってこんなに成長、熟成していくものなんだな〜、と感動したのね。これは、安っぽいセルフ・カバーとは違う、本当の意味でのセルフ・カバーの稀有な成功例だと思った。
 森昌子さん、長いブランクの間に色々あったらしくて、カムバックはしたものの最近はこの1986年当時の輝きには程遠い印象ではあるけれど、早く勘を取り戻して欲しいわ(勘バック!ね ←オヤジギャグだわ)。
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 さて、ついでに、セルフカバーもので俺のお気に入り動画を紹介しちゃいましょう。
 まずは、やっぱり?とうとう?なカンジの休養宣言!が心配なアキナ。「セカンド・ラブ」2001年バージョン。

 歌い辛そうだし、声、出てないわ〜。でも、82年当時と比べると歌が熟成されてて、すごく伝わってくるのよね、何かが。これがアキナのフシギ。
 最後に、ここのところ頓(とみ)に大御所感が漂ってきた岩崎さん。「思秋期」の2007年バージョン。

 2コーラス目はちょっとドロドロし過ぎていただけないけれど(笑)、このバージョンはそれでもちゃんと、五十路を越えた宏美さんが18歳を回想しながら歌っているように伝わってくるところがスゴイと思うの。だからサビの「♪青春はこわれもの〜過ぎてから気がつく」というフレーズがとてもリアルに切なく伝わってくるのね。これは、18歳の宏美さんが歌った時とは全く違った歌に生まれ変わってる、という成功例。

 さて、気がつけば今回も長くなってしまいました。
 今回も最後までお付き合いありがとう。