ニッポンの恥②

 訪米中の小泉さんのあの恥ずかしいパフォーマンスの数々、空いた口がふさがらない。マスコミは「人間味があって好感が持てる」だの「本当にプレスリーが好きなのが表れていた」だのといった(肯定的な)コメントばかり取り上げてお茶を濁した。こんなことをするから、テレビをたまたま見た人の多くは小泉さんを肯定してしまうのだ。(支持率操作)
 彼は、ニッポンの恥だ。仮に国民の大多数がもし、あの小泉さんの行状を認める(応援する)としたら、この国の民がそこまで軽薄に下品にコドモになった証明である。つまり「小泉さんと同レベルになった」ということだ。
 彼を「恥」だと思う同輩が、どうか大多数であってほしい、そう祈るばかりだ。
 忘れてならないのは、あのパフォーマンスはアメリカのお膳立てあってこそ、だということ。まるでご褒美旅行のように彼を迎えたのはアメリカであり、プレスリー宅訪問という、オイシイ場面を用意したのもアメリカなのだ。そしてそのみっともない姿をニュースとして世界に配信したのもアメリカだ。「隣で見ているブッシュも困惑するほどの小泉首相のハシャギっぷり」。そう伝えたニュースソースは少なくない。
 そんな彼を宰相として頂く日本という国が、アメリカ国民から一層バカにされて、やれ黙って狂牛肉を食えだの、基地移転費用を全部出せだの、自衛隊アメリカ軍の身代わりで死ね、などと今まで以上に横暴な酷い苛めに遭わなければいいのだが・・・。
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 昨日(3日)のNHKは19:30から障害者自立支援法、20:00から教育テレビで改正介護保険法の問題点について特集していた。多分、観た人は少ないだろうし、国営放送ももう一つ切り口が甘いのは仕方ないところだが、いずれにしても、弱者である当事者たちは声も上げられずに泣き寝入りしているのだ。取材を受けた障害者とその家族、高齢者が涙を見せる場面が少なくなかったが、それを編集上の演出と見る向きも確かにあるだろう。しかし、たとえ万が一、番組のカラクリがそうであったとしても、まだ人々の目に入らないところで埋もれている真の弱者たちのどうしようもない苦しみ・悲しみを想像する力を失くしては、いけないと思う。
 弱者救済を叫べば「弱者の振りをして役所を騙して、楽に金をもらっているヤツだっているじゃないか。だから厳しくして当然だ。」そう指摘する人が必ずいる。(弱者側に立つとサヨクとか言われちゃう。フシギだ。)しかし、楽をして暮らす、という意味ではインサイダー取引で悪儲けした村上某こそまず先に厳罰に処するべきではないのか。改革主義者たちは、努力した者が報われる社会を、と言うが、努力して報われた者がそれなりの責任を負う社会でなければ、強い者勝ちで強者の好き勝手が横行する、腐敗した社会になるのは目に見えている。
 誰もが努力すれば成功することを夢見られる社会にしていくこと、それは勿論大切だ。しかしその裏で、努力しても失敗したり、思いがけず障害を負ったり、成功しないまま歳をとってしまう、自分にもそんな可能性があることを我々は想像しなければいけない。そうなっても何とか生きていける社会にしなければいけないのだ。「自分も弱者になる可能性がある。」その想像力を携えて社会を見ていかないと、結局、騙されるのは我々一般庶民なのだ。ライブドアショックで損をした一般投資家や、耐震偽装マンションの住民を見れば、明らかでしょ?)
 「光があると、その影の部分ばかりを見る人々がいる(のはけしからん)。」とマスコミに喰ってかかったのがこの国の現総理だ。現実の影の部分をしっかり見ないで暴走した結果が、弱い人々が流す涙であり、自殺者の激増であり、ムラカミやホリエのスキャンダルなのである。