太田裕美アルバム探訪⑥『こけてぃっしゅ』

hiroc-fontana2006-07-07

 裕美系サイトは勿論、筒美系や歌謡曲系サイトなどでも名盤として紹介されることが多いこの作品、何を書いても「いまさら」感は拭えないし、もはやリスナーとして冷静な判断が出来ないほど耳に馴染んでしまっているので、非常に迷うところなのだが、頑張って書こうと思う。
 『こけてぃっしゅ』は77年7月発売の第6弾アルバム。オリコン最高位3位。歌手・太田裕美としては人気の絶頂期であり、松本隆筒美京平萩田光雄の黄金トリオもパワーが漲っており、全編に勢いが感じられる1枚。難曲の数々を縦横無尽に歌いこなす太田裕美のボーカルも特筆もので、彼女自身、様々な場面で「一番好きな作品」として挙げている。
 ジャケットに写る少しキツメのメイクを施した太田裕美からは、もはや都会に旅立った彼を待つ田舎娘のイメージはなく、尾崎亜美丸山圭子など当時頭角を現してきたシティ・ポップス系の女性シンガー(ソングライター)に近い印象を受ける。それが象徴するように、このアルバムの特徴は、なんと言っても垢抜けた(洋楽的な)ポップ・センスだ。それも、太田裕美の持ち味である「ピアノ弾き語り」や「フォークソング」といったイメージさえも極力排し、徹底して洋楽(主に西海岸系)的な音作りがなされている。それはたとえば、10曲のうちほぼ半数の4曲(「夏風通信」「心象風景」「恋愛遊戯」「暗くなるまで待って」)が基音に着地しないエンディングを採用していたり、同様に「夏風〜」「トライアングル・ラブ」「ロンドン街便り」「暗くなるまで〜」の4曲がアウトロをフェイド・アウトしているあたりからも、いかにも洋楽アルバムを意識した作りであることが伺える。それはつまり、歌の形式、いわば起承転結を重視した従来の「歌もの」とは一線を画す、どこまでも全体のサウンドの流れを重視し、BGMとしても心地よい(たとえばFMから流れてくるような)音づくりだと言える。そして、その点ではこのアルバムは十分な成功を収めたと言っていいだろう。特に前半(アナログA面部分)の自然な流れは素晴らしい。
 ところで日本のポピュラー音楽が録音技術を含めサウンド的に飛躍的な充実を見せ始めたのは、70年代後半からではないか、と俺は見ている。音楽が多様化して「ネオアコ」なども定着した今、70年代の音が完全にシーンに戻ってきていることも一因と思うが、実際、オムニバス盤などに収録されても違和感を覚えずに聴ける曲というのは、おおよそ70年代後半以降のものであるような気がする。この『こけてぃっしゅ』も、今もほとんど古臭さを感じることなく聴き通せる。おそらく発表当時は最も洗練されたサウンドだったに違いなく、その辺が多くの支持者から評価されてきた作品なのだと思う。
 収録曲は10曲全曲が作詞:松本隆、作曲:筒美京平。アレンジは萩田光雄が8曲、筒美京平が2曲という構成。コンセプトは夏の1日のイメージで、前半は朝もやの海岸べりの風景から、眩しい日差しの午後、プールサイド、そして夕映え、夜のタクシー・雨、と松本氏得意のキイワードによって場面が移り変わっていく。そんな、コンセプトアルバムとしても楽しめる作品。なお、この時期超多忙を極めていた松本・筒美両氏は、詞先、曲先で半々ずつ作品を持ち寄ってこのアルバムを完成させたとか。どの曲がどちらか、聞き分けながら聴いてみるのも面白い。

  • 「夏風通信」。ピアノ1小節の短いイントロから裕美さんの囁くような歌い出し。まだ涼しさが残る夏の朝のイメージそのもののような爽やかさだ。オリビア・N・ジョンの「SAM」のパクリ、ではなくこれぞ換骨奪胎。最初聴いたとき、この1曲目のワルツ曲の素晴らしさで俺はもうヤラレタのだった。そしてアルバムにおける1曲目の重要性を、この曲によって知ったような気がする。
  • 「レインボー・シティ・ライト」。多重録音で一人コーラスをたっぷり聞かせてくれる裕美さん。ソフトな音色のエレキギターをフィーチャーしたアレンジは「プリーズMr.ポストマン」の頃のカーペンターズ風。ドラムがやや古い感じがするが、全体に流れる上品な感じはやっぱりカーペンターズっぽさ?
  • 「心象風景」。傑作ミディアム・ナンバー。白昼夢をイメージした幻想的な詞、裕美さんの美声を存分に活かす技巧的なメロディー、ギターのスライド奏法を効果的に用いたハイセンスなアレンジも素晴らしい。
  • 「自然に愛して」。二人の人を同時に愛する悩み、という昼メロ・ドロドロ系テーマながら、裕美さんのまったりしたウィスパー気味の歌声とエレピを効かせたアレンジが軽さを与えている、不思議な曲。
  • 「太陽写真」。ホンキー・トンク風ピアノで始まるこの曲は、賑やかな筒美アレンジのアップテンポなナンバー。途中、プールサイドでの男女の会話が挿入されるのが、裕美ソングの定番。最後ルルル・・・のハミングがギターのオブリガートと重なって曲が終わるあたりが、いかにも筒美アレンジらしいオシャレさ。
  • 「恋愛遊戯」。先行シングル曲。ただしシングルバージョンとはボーカルが異なる音源である。この曲がシングルで出た当時、まだ子供だった俺は「なんだかヘンな曲だな」と思った。「♪愛してるって囁かないで、言ったそばから嘘になりそう♪」の16分音符のメロディー展開や、基音に着地しないエンディングとか、正直つかみ所がない曲だったのだ。しかし今聴けば、時を経ても瑞々しさを保ち続ける超名曲であることに驚く。つかみ所がないというのは、裏を返せば「奥深い何か」を意味していたのだ。
  • 「トライアングル・ラブ」。曲・アレンジともにCMソングに使えそうなキャッチーさを持った究極のポップソング。だが詞の方は別れを予感させる男女のエピソードであり、夕焼けという言葉も出てきて、夏の一日はもう終わり、という感じを醸し出す。松本隆にとって太田裕美松田聖子の雛型であることは明白だ。この曲は聖子「硝子のプリズム(84年)」の原型。
  • 「ロンドン街便り」。ゆったりしたラテン系のリズムでメロディーの遊びもたっぷりな、毛色の変わった曲。テーマは帰国子女の回想。海外モノといえば松本−聖子ラインだとバブリーなOLの海外旅行になってしまうパターンが多いが、松本−太田ラインだとぐっとリアリティがあって最後には「ケセラ、セラ、人生は一瞬の夢のようだわ」と総括されてしまう。やっぱり太田裕美こそ松本詞の最も優れた表現者だったのでは、と思わせてくれる名曲である。
  • 「暗くなるまで待って」。マイナーのボサノバ。丸山圭子「どうぞこのまま」やユーミン「あの日に帰りたい」などと同傾向の曲だが、一聴したところ筒美氏のメロディーは少し懲りすぎて複雑怪奇な印象。それを歌手・裕美さんが巧みに歌いこなしてアンニュイなムードのオシャレな曲に仕上げている。その点、この曲の方がむしろ、先のシロートシンガー(ソングライター)達の大ヒット曲より断然完成度が高いように思える。
  • 「九月の雨」。そして最後はアルバム発売から2ヶ月後にシングル・カットされた、裕美さんの代表曲のひとつ。歌謡曲寄りのこの曲は、洋楽テイストの本作品中では異色のナンバー。スリリングなピアノイントロから耳を奪って離さないゴージャスなアレンジ。都会の雨の夜の恋愛模様を鮮やかに映像化した詞。裕美さんの切迫したような切ないボーカルとが一体となって、良質の短編映画を見るような贅沢さを感じる名曲。この曲は有線チャートで2位を記録する大ヒットとなるなど、流行歌としては広く大衆に支持された一方、それがおそらくそれまで太田裕美が持っていたニューミュージック的キャラクターイメージを破壊し、そしてファン離れを引き起こした可能性が高い。その証拠に、これ以降の彼女のレコードセールスは大きく落ち込み、音楽的にも迷走の時代へと突入してしまうことになる。