セイコ・ソングス20〜「続・赤いスイートピー」

Citron
 1988年5月発売のアルバム『Citron』より。作詞:松本隆、作曲:Steve Kipner・Linda Thompson・David Foster、編曲:David Foster

 アルバムの最後の色あせた押し花が
 海辺に誘うの
   (詞:松本隆

 この歌の導入部。この「押し花」はもちろん「スイートピー」だ。この最初のフレーズだけで、リスナーはあの「赤いスイートピー」の世界にタイムスリップしてしまうのよね。セイコファンそれぞれが自分の中に持っている「赤いスイートピー」のイメージの世界へ。そして自分が「赤いスイートピー」という歌を初めて聴いた、若かったあの頃へ。。。
 これはまるで劇中劇みたいな演出です。松本さん、ホントに巧いわよね。
 アルバム『Citron』は、アメリカ音楽界の大御所・デヴィッド・フォスターのプロデュースで、そのサウンドは今聴くといかにもMTV時代の音だな〜、みたいな大仰さがあるのだけど、確かにアルバム全体のつくりは実に緻密だし、収録曲も粒揃い。特にセイコさんのボーカルは、デヴィッドさんに随分と直されたという話もあって、他のアルバムにはないクールさが漂っているような気がする。アルバムを通して、お得意のしゃくり上げや、喉を締めて音節をブチブチ切る歌い方はほとんど聴かれない。(そのかわり、ボーカルが機械処理され過ぎてて、本来のセイコさんのキレイな声が台無し、という話も。)
 でも実は、この作品が発売された年は、俺自身、社会人になりたてで、自分が果たしてこの職場で通用するのか、いや必ず認められて見せるぞ、という、不安と根拠のない前向きさとの狭間で揺れながら、毎日をがむしゃらに頑張っていた頃なのよね。だから、アルバムのオープニング曲の「BLUE」や、人気曲「抱いて・・・」の、ハッとするほど大人っぽくなったセイコさんのボーカルの変化さえ、リアル世界の環境があまりに激変していた当時の俺にとっては、たいした驚きには思えなかった。
 つまり、セイコの変化とリスナーとしての自分の変化が妙にシンクロしちゃってたわけ。だから、この作品から格段に大人っぽいサウンドに移行したセイコさんが、大人社会で頑張る俺の耳には、程よく合っているように思えちゃったのかもね。
 ただ、そんな当時の俺にとっても、この「続・赤いスイートピー」だけは、どうしても聞き流すことの出来ない1曲だったのね。

 駅員に頼んで写真撮ってもらった
 同じベンチで あなたがいないだけ

 1982年の大ヒット「赤いスイートピー」の中で「〜4月の雨に降られて 駅のベンチで二人」と歌われた、あの海辺の駅のベンチに、今回は少し大人になった主人公の女性が、またやってきたわけだ。そして、線路の脇には、今日も赤いスイートピーが咲いている。
 そして俺はこの歌を聴きながら、自分もこの主人公の女性と一緒に「赤いスイートピー」のあの頃、つまりお気楽だった学生時代の思い出にタイムスリップして、いつも慰められていたというわけだ。そう、この「続・赤いスイートピー」は当時の俺にとって、慣れない社会人生活で疲れた心を癒す薬だったのよね。
 そして、最後のサビがまた、切ないのだ。

 赤いスイートピーの花が咲く
 季節が哀しいのよ
 もしもわがままを言わずに
 生きれば運命は違ったの?

 思い出そのものはきっと、とても淡い色をしているのだけど、いざ過ぎ去ってしまうと、二度とその日が戻らないというそれだけで、とても深い色を帯びてくるような気がする。そんな、切ない感覚を味わわせてくれる歌詞。
 ここではセイコさん、ダビング・コーラスで、珍しく各フレーズの終わりを「タメ息」を残すような感じで息を吐いて終わらせているのね。これがまた、主人公が後悔している気持ちと重なって、なかなか効果的。これが本人のアイデアだとしたら、セイコさんはホント、天才かも。

 さて、この『Citron』を最後に松田聖子松本隆の蜜月時代は終わり、同時にセイコ・ポップスが牽引してきた80年代アイドルの黄金時代も幕を閉じる。
 それを思うと、この「続・赤いスイートピー」の歌詞はとても象徴的で、まるで今のセイコさんが松本隆先生と過ごしたセイコ・ポップスの黄金時代を振り返っているようにも聴こえてくるのよね。
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 さて、そんなこんなで、このセイコ・ソングスも今回で20回目の一区切りをさせていただきますね。