セイコ・ソングス18〜「Eighteen」

North Wind
 1980年10月発売、セイコさんのサード・シングル「風は秋色」のカップリング曲(両A面扱い)がこの曲。ご存知「風は秋色」はセイコたん初のナンバーワン獲得曲で、当時は洗顔クリーム「エクボ」のCMソングとしてテレビからもバンバン流れていたのよね。デビュー3曲目にしてまさに「ポスト・モモエは私よ!」と早くもアイドル界の頂上に高々と旗を掲げたセイコたん、本当に飛ぶ鳥落とす勢いで、当時はどのチャンネルをひねっても聖子、という感じでした。ただ、このシングルには裏があって、「風は秋色」があまりにもCMソング色が強かったからか、聖子さんが「サンデーズ」の一員としてレギュラー出演していたNHK(国営放送)の「レッツゴーヤング」とか、ライバル化粧品会社がスポンサーだった「紅白歌のベストテン」などでは「風は秋色」ではなく、しばしば「Eighteen」が歌われていたのよね。その意味で、CMタイアップだからこそ生じる足枷をうまいことかわしながらそれを最大限活かす「両A面戦略」というのは本当に巧いやり方だったと思うのね。スカートをヒラヒラさせながら「Eighteen」を歌う聖子さんもそれはまたキュートで、hiroc-fontanaも実を言うと、「風は秋色」よりも「Eighteen」の方が印象が強かったりするのだ。
 そんなわけで、セイコさんはその後も「風立ちぬ/Romance」「赤いスイートピー/制服」、極めつけ「ガラスの林檎/sweet memories」続く「瞳はダイアモンド/蒼いフォトグラフ」と、両A面シングルでヒットを連発してまさしく「両A面の女王」の称号をほしいままにするわけだけど、その最初の成功例と言えるのが、80万枚に迫る売上げを記録したこの両A面シングルだった、というわけね。
 さてこの曲の製作に携わったラインナップはというと・・・作詞:三浦徳子、作曲:平尾昌晃、編曲:信田かずお。なんと作曲はあの平尾昌晃センセ!なのね!
 平尾昌晃氏といえば、ルミ子とか畑中ヨーコとか。やたら色っぽいオンナの子をヤッちゃう・・・もとい!育てる!のに長けたセンセ。何せ「瀬戸の花嫁」「よこはま・たそがれ」の作曲家ですものね。レコード大賞常連。そんな70年代歌謡界の大御所の先生が、何とセイコたんにも曲を書いていたという事実に、今更ながらちょっと驚きなのです。
 ちなみに平尾センセ。モモエさんの「赤い絆(作詞:松本隆、1978年)」の作曲者でもあるのですね。実はモモエさんとセイコさんって、同じソニーミュージック系でありながら全く違う音楽性で勝負していたから、作家陣も全く共通項が無い、と俺も勝手に思っていたのだけど、よく調べてみると来生たかおさんとか、杉真理さんとか、そしてあの大瀧詠一さんとか、結構ダブっていることに気付くのだ。もちろん平尾センセもその一人。なんだかそんな発見が、70年代も80年代も同じくらいに愛している音楽(アイドル)ファンの一人としてはちょっと嬉しかったりする。とても個人的な感覚だけどね。
 この曲の特徴は、本当にセイコさんには珍しい、バリバリのオールディーズ路線。イントロのシャラララ〜というコーラスから「クンクルリン」と転がるシロフォンの甘やかなフレーズまで、古き良き時代(まさにアメリカン・グラフィティ)のドリーミーなサウンドが満載です。ということで、かつてはロカビリー男子として鳴らした平尾センセの会心の一作でもある。これがきっとデビュー当時一部では「和製コニー・フランシス」とも評されていたセイコさんに周到に用意された「一手」だったのでしょう。
 うん。確かに若き聖子さん、このドリーミーな歌を溌剌と歌い上げていて、その声、その音圧、まさに和製コニー・フランシスという感じ。hiroc-fontanaは、この何も屈託のない、若さに溢れる18歳のセイコさんが大好き。長いキャリアを積んだプロの作家が作った歌をもらって、何の不安もなく自分の感性を曲にぶつけている、そんな伸びやかさを感じるのだ。
 でも、その後の聖子さんはご存知の通り、いわゆる歌謡曲フィールドの作家とは一切組まなくなる。その是非はその後の聖子さんの大成功を見る限り語るまでもないことだけれど、思えば最初で最後であった、歌謡界の大御所・平尾センセとのこのコラボの味わい深さを思うに、ああ、当時の聖子スタッフは本当に厳しい道を選択していたのだなあ、と思わざるを得ない。
 それほど貴重な分水嶺にあたる1曲、それがこの「Eighteen」なのかも。なんてちょっと大袈裟かしらね(笑)