クミコ「蜜柑水」〜『AURA』より

AURA(アウラ)

AURA(アウラ)

 クミコさん
 2000年にこのアルバムが出た頃、俺は30代半ば。ゲイであることを自覚しながらも、まだ一歩が踏み出せずにいたころ。
 1999年に作詞家生活30周年を迎えた松本隆さんがその才能に惚れ込み、渾身のプロデュースにより生み出されたこの作品を、最近になってまた愛聴している俺なのだ。
 当時、松本さん本人や、彼のホームページ「風街茶房」(←残念ながら休止になったらしい)の掲示板で絶賛されていたクミコさん。でも当時は正直言って俺、このアルバムを何度聴いても、良さがわからなかったのね。クミコさんのシャンソン臭漂う演劇的な歌い方も好きになれなかったし、松本隆さんの技巧に走りすぎた頭でっかちな詞も、どこか自慢気でイヤらしく思えたのだ。(同時期に聖子さんが松本さんの詞をフィーチャーしたアルバム『永遠の少女』をリリースしているけれど、彼女も松本さんの詞があまりに技巧的なものに変化してしまったことに戸惑ったに違いない。だから聖子さんはその後、再び松本氏に作詞を託すことは一切無かった。)
 それから時代が一回りして、俺自身も干支一回りを経験した今、どういうわけかこのアルバムがとてもしっくりくる。そのうえ、当時は何だか自己満足げでクドく聴こえたクミコさんの歌声も、今ではその独特な表現の奥に秘められた深い“念”のようなものさえ感じられてグっとくるのだから、不思議でね。
 俺の12年も決して無駄な毎日だったのでなく、それは確実に時の積み重ねの中で、心の奥のヒダに色々な感情(感動)を刻んでいたのかもしれないな、なんて思えて少しだけ嬉しかった。
 そんなアルバム『AURA』で改めてドキリとした曲が、今回のタイトル「蜜柑水」。

恋人がゲイ 空耳かな?
ショックで呼吸が仮死状態
一緒に住んでも手も出さないはず
ペットにワニでも飼いたくなる
 
不思議な蜜柑水はいかが?
お化粧上手なあなた
二人でワルツでも踊りましょう
ララ ララ ララ
 
〜中略〜 
不思議な蜜柑水はいかが?
昔のレコードかけて
人生なんてそんなものよ
ララ ララ ララ
  「蜜柑水」作詞:松本隆

“ペットにワニ”。そして「不思議な蜜柑水」とは、つまり偽物の“清涼”飲料水のこと。爽やかな彼が実は。。。みたいなね。この冷やりとした皮肉がいいでしょう?そして二人で哀しいワルツを踊る。絶望や哀しみを突き抜けた女の、感情を失って冷えきった心を、ちょっとイっちゃった声で歌うクミコさんがまた、素晴らしくてね。(アマゾンの商品ページで試聴できます。)
 アルバム『AURA』には、細野晴臣さん、鈴木慶一さん、Cobaさんをはじめ、あの筒美京平センセも曲を提供していて、作家陣は超豪華なのよね。松本さんの詞は、ゲイはおろか大正ロマンやヤクザに娼婦、戦時中の監督と女優まで登場して、その濃密さはまるでアングラ劇のよう(これじゃ、聖子さんの手に負えなかったわよねきっと。笑)で、本当に大人向けの、充実したアルバム(だったのね、今思うと)。
 「蜜柑水」は残念ながら動画は無いのですけれど、筒美作品「心の指紋」がありましたので、貼っておきますね。この独特の世界、ご堪能ください。

 
 ところでクミコさんと言えば、約2年前、2010年の年末にいきなり紅白に出場して、視聴者に「???」を投げかけた人ね。その10年前の2000年に鳴り物入りで出たこの『AURA』は当時、話題にはなったもののセールス的にはさほど成果を出せず、しかしそれをきっかけに確実に活動の場を広げつつ次第に根強いファンも獲得して、2010年、広島原爆を題材にした「INORI」が話題になり、ようやく紅白出場となったわけね。先般の震災では石巻でコンサートのリハーサル中に被災してニュースになったりもした。まだまだ地道に活動されておりますので、ご興味ある方は是非!