Dreams Come True「琥珀の月」

DELICIOUS

DELICIOUS

 ドリカムって、どこか「優等生」的なイメージがあって、なんだかファミレス的な位置付けのアーティストになっている気がする。いつでも誰にでもOKよ!みたいな。いつ頃からだろう。15年以上前に「笑顔の行方」でブレイクした時は、そんなじゃなかった。吉田美和のフェイクしまくりのヴォーカルには正直ぶったまげたし、斬新な転調を繰り返しながらも妙に耳に心地いいメロディーも、めちゃくちゃ新鮮だった。結局、この人たち(今は二人。西川君はいま何してるの?)が醸し出す育ちの良さ、が音楽に現われているということもあるだろうが、やっぱり、いつの間にか彼らの音楽があまりにJ-popの「王道」として浸透し過ぎた、ということが大きいように思う。要は、当たりまえになっちゃった、というか。でもね、例えば昨今の「ヴォーカリスト」ブームの火付け役は、確実に吉田美和だったと思うし、それだけでも彼らの貢献度というのはやはり軽視すべきではないように思うのだけど。イマイチ評価低いよね。ただ正直、俺も最近のドリカムは、やっぱりあまり聞いてないのだけど・・。
 さて、「琥珀の月」。アルバム『DELICIOUS』(95年)の一曲。もう10年前の曲なのだが、時々この曲が聴きたくなって『DELICIOUS』をプレーヤーのトレーに乗せる。吉田美和はもう結婚したけど、この曲を聴く限りやっぱり中村正人とデキてたんじゃないかな。そう思わせるくらいに詞と曲のコンビネーションがいいのだ。
 吉田美和の詞って、フツウの女の子の気持ちや日常をすごく鮮やかに切り取っている、というような評価が一般的だろう。ユーミンと比較されることもあったように思う。でも、絶対に違う。ユーミンはどこか高みから一般市民の恋愛を見ているのに対して、吉田美和の視点はどこまでも「プライベート」だ。「図書館で借りた空の写真集(眼鏡越しの空)」とか、「あなたが好きなモンティ・パイソン(go for it!)」とか、この曲に出てくる「ブーツの色に似ている月の色」とか、これは実体験で出会わないと出てこないキーワードだ(想像で生まれたものだとすれば凄すぎないか?)。その結果、ユーミンの詞のシチュエーションはとても「普遍的なリアル」なのだが、吉田美和の詞世界は下手をすると「「オシャベリ好きな女の子がお茶しながら自分のことを駄弁ってる」的なリアル」。
 この曲でもそんな吉田美和ワールドが広がっているのだが、前半、淡い好意を抱いている彼と「友達になる」計画で誘いをかける彼女の小さなエピソードが、イギリス民謡風の牧歌的なメロディーとアレンジで綴られる。そしてドオオ〜ンという低音とともに、混沌とした間奏のあと後半のコーラス。結局二人の関係に進展もないまま、彼に対する切ない気持ちだけが募っていく自分に気付く彼女。この後半部分のメロディーが、前半のメロディーのモチーフをそのまま短調(マイナー)に持ってきているのだ。ここが凄い。歌詞は前半の情景中心の描写から、彼女の心情の独白に移る、見事な対比。そして曲調の劇的な変化。こんな曲、タダモノには作れません。それが、二人の合作、っていうところもまたオドロキなのである。
 ちなみに、同様のアイデアで作られた曲としてはKinki Kidsの「好きになってく 愛してく(’00)」というのがあったような・・・。これについてはコメントを控えさせていただきます。