セイコ・ソングス3〜「samui yoru」

 デビュー20周年を迎え、再び歌手としての原点に立ち戻って製作されたというのが売り文句だった1999年発売のアルバム『永遠の少女』は、黄金期を築いたパートナー・松本隆と10年ぶりにタッグを組んだことでも話題になった。しかしフタをあけてみれば、アルバムチャートでの最高位は24位止まり。売り上げはわずか4万枚という結果。
 セルフプロデュースで勝負した90年代以降、80年代のセールスには到底及ばないものの、発表したアルバムをほとんどトップテン内に送り込んで来た聖子さんにとって、満を持して発表したこの記念碑的作品がセールス的に惨敗してしまったという、その心理的打撃はおそらくかなり大きいものであったに違いない、そんな気がする。そしてその結果が「自作への執拗なこだわり」につながってしまったのではないか。そうであるとするなら、彼女にとってもファンにとっても、とても不幸なことなのだが。
 そんな徒花(あだばな)的な捉え方が似合ってしまうアルバム『永遠の少女』だが、俺としてはタイトルとは裏腹な、適度に枯れた味わいが大好きな作品で、今でもよく聴く作品のひとつなのである。その収録曲の中でも、ひときわ異彩を放っているのが「samui yoru」。作詞:吉法師、作曲:佐々木孝之。両者とも謎の人物と言うに相応しく、当時はおそらく新進気鋭、しかし結局その後も何も無く消えていったあたり、名曲「Bless You」の作曲者・上原純と共通しているかもね。いい作品を残しているのだから、もっと重用してあげればいいのに、結局その場限りで使い捨てなのよね。。。その辺、セルフ時代以降の聖子さんに関わるソングライター達の人選は、本当に「意味不明」としか言いようが無いような気がする。
 話は逸れたけど、この「samui yoru」は「松本隆との再会」がウリだった『永遠の少女』の中にあって、松本隆が絡んでいない数少ない収録曲のひとつで(松本氏が絡んでいないもう1曲は娘SAYAKA作詞の「恋はいつでも95点」!)、いわば継子的な作品とも言える。しかし、この曲こそ、1999年当時の松田聖子が「他流試合」していたら、それがどれほどワクワクする成果を残していたか、を端的に表していた傑作だと、俺は思っている。
 アップテンポの切ないギター・サウンドは聖子さんの曲には珍しく、初めて聴いたとき一瞬「スピッツ?」かと思う。なるほど、アレンジはスピッツを手がけている笹路正徳氏なのであった。そう、90年代以降の流行歌を「J-POP」として括るなら、この曲こそまさしく「聖子ミーツ・J-pop」と言うに相応しい曲のような気がするのだ。
 『永遠の少女』での松本隆さんの詞は、もはや詞でなく詩であって、「文学」の佇まい。重厚さを湛えたその詞は、ここまでくるともはや流行を追う「J-pop」という世界にはそぐわなくなっていた。一方、聖子さん自身が製作に加わった90年代以降のセイコ・ソングスは、残念ながら自分のファンだけに向けた80年代の聖子ポップスの再現に過ぎず、90年代以降の新しい音楽全般を総称するところの「J-pop」というカテゴリーに含めるには、あまりに実体が無さ過ぎた。つまり、この時点での聖子ポップスは、もはや「J-pop」ではなく、すでにナツメロ・歌謡曲に近い位置づけにいたのではないか、と思う。
 そんな中で、松本作品でもなく聖子さんが関わってもいない、アルバムの中でも中途半端な位置づけである「samui yoru」は、ある意味最も1999年現在(進行形)の「歌手・松田聖子」を表現できた作品なのではないか、そんな気もするのだ。(「恋はいつでも95点」は、娘の作詞ということでセルフプロデュースの内輪受け作品と大きな違いはない。)
  アルバム『永遠の少女』が内容の割にファンから賛否両論の評価を受けているのは、研ぎ澄まされ、時に饒舌すぎるほどの松本隆さんの詞に、声の伸びが無く本調子でない聖子さんのボーカルが負けてしまっている、その辺にあると思うのだが、しかし「samui yoru」だけは違うように思う。

いつの日かこの想いかなうように 空を見上げてみた
涙さえ凍るよな寒い夜に
あなたの手のひらのぬくもり感じたい
ため息で星空が 雪に変わった (詞:吉法師)

 平凡な詞を、いかにもなキャッチーで切ないメロディーに乗せた、90年代風のギター・サウンド。そんな曲を驚くほどサラリと歌う聖子さん。でも、伝わってくる、何かがある。他の収録曲を超えた、何かが。一つひとつの言葉に込められた、一瞬のかすかなニュアンスのようなものが。そこに、超多忙だった全盛期の80年代、レコーディングスタジオで初めて受け取った曲を、天性の勘(ひらめき)で見事に瞬間で表現してきた往年の聖子さんを見るような気がするのだ。つまり、松本隆氏の作りこまれた「詩」や、自作の思い入れたっぷりの曲に対する「条件反射的な感性」ではないところでの、手垢にまみれていないピュアな勘・ひらめきが、いかにもさらりと歌われたこの曲「samui yoru」の中にこそ、見え隠れしているように思うのだ。
 この、さらりとしたせつなさ・・・。俺としては、この路線、もっと追求してもらいたかった、つくづくそう思わせられる1曲なのである。