セイコ・ソングス16〜「黄色いカーディガン」

Candy
 まず、これをご鑑賞ください。25年前(!)の聖子さん。ほとんどノーメイクなのに、とっても美しく輝いているでしょう?今では全身から「人工」又は「作りもの」の匂いが漂ってくる(笑)彼女とは大違い。歌のほうも、さりげない中に本来の歌の上手さが自然に出ていて、素晴らしいです。今思えば、このころは聖子さん、本当に輝いていたな、と思う。確かに今でも大スターのオーラを十分に放っている人には違いないけれど、やっぱり本人の肉体的・精神的な充実度から言って、デビュー4年目を迎えたばかりのあの頃と現在(いま)とを比べれば、どうしたって勢いも輝きも雲泥の差があるってもの。要するに、あの時代が彼女にとってイチバンの「旬」だった、ということは間違いない。そして本人が旬を迎えていたからこそ、周りにとりわけ優れたスタッフが自ずと結集することになり、さらに次々と奇跡の輝きを与える、という相乗効果が生まれていたのだと思う。
 あのころ、1982年から83年当時の聖子さんの作品を聴くと、そんな幸せなコラボが生み出した濃密で贅沢な時間と空間が、音の中に確かに閉じ込められていて、聴くたびにふわっとこちらも幸せな空気に包まれるような気がするのだ。それこそが聖子マジック。もちろんそれは80年代という、日本にもまだ夢があった時代の残像でもあるのだけれど。
 さて、「黄色いカーディガン」は1982年11月発売のアルバム『Candy』の中の1曲。『Candy』は、収録された唯一のシングル「野ばらのエチュード」がかなり大人しい印象だっただけに、全体的にシックで落ち着いた(秋に相応しい)イメージを残すアルバムだが(アルバムジャケットでフリフリのドレスで自転車にまたがったガニマタの聖子さんには正直ぶったまげたけどね。笑)、大滝詠一南佳孝細野晴臣ら松本人脈を総動員したかのような曲たちは、派手さこそ少ないものの粒ぞろいの佳曲ばかり。特にポップなこの曲はアルバム後半に配置されて際立ってキュートな印象を残している。
 作詞:松本隆、作曲:細野晴臣、編曲は大村雅朗。細野さんはこれが初めての聖子作品への起用で、そのためかアレンジは細野さん本人ではなく大村氏が担当。イントロのピアノの連打がちょこっとだけTOTOかELOのようで、うねるギターや間奏とエンディングで聴けるサキソフォンの流麗なオブリガートなどそこかしこに大村氏のセンスが光る。一方、四分・八分音符中心の、シンプルで輪郭がはっきりしたメロディラインはいかにも細野流で、サビの「わ・た・し・き・い・ろ・い・カーディガン」のあたりに顕著なのだが、音節を切って歌う聖子さんのブリッコ唱法がこれによくマッチしている。この独特の歌い方、一見ブリッコのようでいてよく聴くと短い音節の繰り返しの中に、たとえば音をしゃくったり、ハスキーに息を混ぜたり、声を呑んで子音だけ聞かせたり、スラーで次の音につなげたりと、一音一音いろいろなテクニックを変幻自在に盛り込んで歌っているのがわかる。いわばその短いニュアンスの畳み掛けを通じてひとつの情感を醸し出すわけで、そこが聖子さんの歌声が持つ独特の説得力であり、強さなのかな、なんて思う。この「黄色いカーディガン」は「いちご畑でつかまえて」(アルバム『風たちぬ』)や「パイナップル・アイランド」(アルバム『Pineapple』)と並ぶ、この時代のブリッコソングの代表だが、その独特の歌唱法を確立した記念碑的作品のひとつと言えるかもしれない。
 さて、以下はあくまでもhiroc-fontana的な印象なのだが、この作品を聴くたびに思い出すのが、印象派・モネの絵画だ。↓これは歌詞の中に出てくる「日傘振れば黒い汽車が汽笛鳴らすの」というフレーズに負うところが大きいのだが、歌の中では彼氏が登場したり、主人公の女の子はドレスではなく黄色いカーディガンを羽織っていたり、ひとつひとつの素材はこの絵とは全く違うにしろ、「レンゲの花咲き乱れる野原」のまぶしい光や溢れる色彩感覚はまさにこの美しい絵画そのものであり、カラフルでハッピーな曲調と相まって、聴くたびにこの美しい絵画の世界を俺の頭の中に映像化してくれるのだ。↓
 これもきっと、聖子マジック。