おかえり。『三文ゴシップ』椎名林檎

三文ゴシップ
 1年半前に「りんご復活はあるか?」というエントリーを上げて、5年間で封印されているからこそ林檎ちゃんは輝いているのだ、みたいなことを書いたのだけど、まさかこんなに早く椎名林檎名義で新作がリリースされるとは思わなんだ・・・。
 個人的には1年半前にも書いたとおり、あの濃密な5年間(『無罪』『勝訴』『カルキ』3部作)の完成度を保ったまま、林檎ちゃんは永遠に封印してもらいたかった・・・という複雑な想いもあるにはあるのだけど、30歳になった(というかまだ30歳なのよね!オドロキ!)いまの「林檎さん」が届けてくれた6年ぶりのアルバムは、いざフタを開けてみれば以前にも増してそれはオイシイ「濃縮林檎ジュース」になっていて、やっぱり林檎好きにとって堪らないほど嬉しい贈り物だった。
 雑誌「AERA」のインタビューで林檎さんは過去(第1期椎名林檎時代)を振り返ってこんなことを言っているのね。

 「音楽業界のおじさまたちがおっしゃるアーティストのあるべき姿を盗み聞いて、宣伝になる材料をお渡ししなければと思っていました。それが世の中には、個性というふうに届いてしまって、大きな誤解をあちこちに投げかけているようで辛かったですね。」

 その動機は「(日本の)世界に誇れる演奏家や音楽家が、メディアにちゃんと乗るための突破口になりたかった」から、なのだと。
 そう。ノイジーで荒削りなサウンドに包まれながらも、その美しいメロディーやコード進行の天才的なひらめき、そして何よりも濃密な言葉たちで彩られた椎名林檎の音楽の輝きは、当初から、粗悪なまま乱造される多くの「J-pop」とは一線を画す位置にあったように思うのね。特に、若くして成功した林檎さんは、それこそ「世界に誇れる音楽家」に近い存在に思えた。
 ただ、前述のインタビューにあるように、(多少は彼女の責任もあるようだけど)当時はビジュアルの印象や、奇抜な発言などが少し先行してしまったきらいもあって、俺も『勝訴ストリップ』はイイとは思ったけど、正直ダブルミリオンまで売れるような類の作品か、というと???な印象だったし、林檎さん本人もそう思っていたに違いない。それがインタビューの反省めいた弁に現れているように思うし、サードアルバム『加ル其精液栗ノ花』発表までの3年間のブランクに繋がったのかな、なんてことも思うのだ。サード『カルキ』はそれこそ、天才音楽家椎名林檎が好きなことを好きなだけやったアルバムという印象でhiroc-fontanaイチバンのお気に入りなのだけど、こちらはセールスが40万枚程度とパッとしなくて、でもこれが林檎さんの願いとはウラハラに日本の音楽マーケットの限界なのだろうな、なんてことも思ったのね。(エラソーに言わせてもらうとね。)
 さて、新作の話。こちらはタイトルのシンメトリー配置や収録時間50:05といったこだわりは三部作を踏襲しているものの、作品コンセプトはこれまでのようにガチガチに固まったものではなく、ジャケットのカラー「肌色」に象徴されるように、いまの林檎さんが素のまま(裸で)好きな音楽を形にしている、という印象だ。三部作から東京事変に至るまでの林檎さんの音楽の変遷が手に取るようにわかる集大成的作品とも言える。だから、従来の林檎ファンはすんなりとこの世界に入り込めるのだろうけど、これが新しいリスナーを開拓できるのか、というと正直言ってギモンではある。でも、林檎さん、これで良しとしているのかもね?もう音楽界を変えるとかいうより、イイ曲を好きなように作って、それで感動してくれる人がいれば良し、みたいな。この作品にはそんな開き直りというか、肩の力の抜けた印象があって、そこがまたすっきりと心地良かったりするのだ。
 ラップ入りのR&Bあり、ミュージカルばりの壮大なオーケストラあり、セルジオ・メンデス風ラテン・ロックあり、はたまた美しいピアノがとろけるバラードあり、ど真ん中のジャズあり、で、もはや彼女の音楽は「ロック」の範疇を大幅に飛び越えて、“コンテンポラリー・サウンド”としか呼びようがないところまでいっちゃってるような気もする。それでいてメロディーだけを取り出せば、どれもなんと美しいことか。今これが若いリスナーから支持されるとすれば、それはそれで日本の音楽市場も成熟した、スゴイナ、と言えるのかもしれないけど。果たしてどうなのかしらね。ただ、彼女の音楽のスルメっぷりは相変わらずで、詞をじっくり吟味しつつ、聴けば聴くほどにハマってしまう奥深さは、やっぱりオンリー・ワンだ!と思うのだ。
 ラスト曲「余興」から、ボーナス・トラックの「マルサ」ことファーストからの再録「丸の内サディスティック」の流れが意外なほどカッコ良くて、とても良い余韻を残して終わるこの新作。嫌が応にも今後の林檎さんに期待させられてしまう俺なのだ。