路線バスの車窓から

 私、路線バスに乗って、ボーっと窓の外を眺めているのが好きなのです。バスのちょっとモタついたあの速度が実は絶妙で、だからバスの窓からは、レールの上を猛スピードで走る電車の車窓から眺める景色とは絶対に違う“生活臭の感じられる景色”が見られるような気がするのです。
 たとえば街なかのバスの窓からは、色々な家や商店やビルや、それぞれの目的地に向かって道を歩いていく老若男女、様々な服装の人々が見えるのですが、それを見ているだけで、大袈裟に言いますと、何となく今の世相さえも見えてきてしまうような気さえしてくるのです。。。いわば、時代の空気みたいなものが、バスのゆったりした速度で走る車窓から、感じ取れるような気がするのでしょうね。
 先日もそんな風にバスの窓の外を見ていて、ふとこんなふうに感じたのです。
 日本って、なんだかんだ言っても、まだまだ大丈夫なのかもしれないな、なんて。
 バブル崩壊以降、失われた20年とか財政破綻間近だとか言われ続けても、大多数の国民は今もほとんど不自由なく暮らせているというこの現実。商店街が消えて大型スーパーに取って替わられ、後継者のいない中小企業がつぶれ、若者の就職先が無くても、この日本国というシステムは、結局は今日もしっかりと機能しているという現実。長い経済低迷が引き金になって国の地位は低下し、代わりに中国など新興国が台頭して来たとはいえ、日本(製品)のクオリティ・ブランドは今なお根強く世界に浸透しているという事実。
 この底力、潜在能力からすれば、そんじょそこらでは日本は倒れないはずなのだと。突然、強烈に、そんな風なことを感じたのです。
 この国の将来像を描こうとすれば、悲観的な事ばかり浮かんでくるのは仕方のないこと。それは過去の成功体験から導き出されたものなのですから。すべてがうまくいったあの時代と比べれば、いま直面している課題は、超・少子高齢化、若年層の学力低下、環境破壊、経済格差の拡大、その上に震災対策・復興も重なり、難しいことばかりです。
 しかし、かつてバブルが崩壊して大手金融機関が続々と破綻したあの当時、相変わらず平和に存続している20年後のいまの日本の姿を、誰が想像し得たでしょう。
 この世界、変化は避けられないものであって、はるか昔の言葉である「諸行無常」、これは今も昔も、どうしようもない事なのでしょう。いつでも時代が進めば、古いものは廃れ、その代わりに新しいものに変わっていく。この20年、バブル期までの希望に溢れていた日本とは、確かに変わりました。
 しかし一方で、私たちが愛し、大切にしているものがあれば、それは確実に今も残っている。そう考えるのも自然のような気がします。時に昨今、日本人の間に「日本を見直す(惚れ直す)」機運が高まっているような気がします。それは震災がキッカケだったのかもしれませんし、尖閣問題など近隣国との軋轢から生じた保守層の大復活が影響しているのかもしれません。(昨今のマスコミはこぞって、国民の愛国心を煽っているように見えなくもありません。)
 安全で、綺麗で、何事にも丁寧で、キチンとした日本。人々が礼儀正しくて優しく、自然が美しく、食べ物も美味しい国、日本。
 この国の人々(とくに名もない一般の人々)にそれらを愛する気持ちが残っていれば、この国は、なんだかんだ言っても、まだまだ大丈夫なのかも知れない。先日、私がバスの車窓から見た人々の表情は、バブルがハジけ、自信を失っていたころの日本人の表情とは、確かに変わってきているように思えたのです。
 スーツ姿でひたすら歩くサラリーマン、買い物帰りの主婦、自転車に乗る女子高生たち。「この国に住むことの幸せ」が、彼らの表情からほんのりと、読み取れたような気がしたのです。