「レナードの朝」

レナードの朝 [DVD] 久しぶりに映画の記事を。
 俺の大好きなこの映画「レナードの朝」は1990年の作品。ロードショー公開当時は俺、まだ20代で、それから何度観たことだろう。。。
 原作「Awakenings」(目覚め)はノンフィクション作品=実話で、映画はそれをベースに作られたファンタジー
 1930年代〜40年代に流行した病(「惰眠性脳炎」)により30年もの間“生きる屍”(劇中では「石像」に譬えられる)となってしまった主人公・レナード(ロバート・デ・ニーロ)。彼が入院している精神病棟に赴任してきたもうひとりの主人公・セイヤー医師(ロビン・ウィリアムス)。セイヤー医師は人付き合いは下手だが、本来の優しさと秘めた情熱で病院の理事や患者家族を根気強く説得して、レナードをはじめ同症状の患者たちに開発されたばかりの「新薬」を投与していく承認と資金を勝ち取り、彼らを“目覚めさせる”ことに成功する。30年の時を経て“人生”を取り戻したレナード、そして病棟の患者たち、しかし彼らの二度目の人生はあまりに儚く・・・。というのが大まかなストーリー(→詳細はWikiをどうぞ)。
 果たして、彼らを目覚めさせたことが正しかったのか(「自分は彼らに人生を与え、そして奪ったのではないか。」)、セイヤー医師は自問自答するわけだけど、仕事で知的障がい者とお付き合いさせて頂いている自分としては、この自問自答がとても響くのよね。
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 知的障がいと言ってもさまざまで、中には行動障害を伴う方もいて、そんな人は何かがキッカケで精神状態が不安定になって“行動が暴走”してしまったりするわけね。そういった“暴走”は大体の場合引き金になる何らかの要因があるのだけど、ただ、障がいを持つ彼らにはそれを自分でコントロールしたり言葉で表現したりすることが出来ないから、直接的(多くの場合、破壊的な)行動となって出てきてしまうらしいのね。そして、ここに「薬」が登場するわけ。まあ、それはいわば向精神薬のようなものであるわけだけど、問題はそれが大概は本人の意志ではないところで処方され、投与されてしまう、というところ。
 もちろん私たちだって、病院に行って処方箋が出されれば、「医者に言われて仕方ないから(薬を)飲む」わけだけど、そこには「医者に言われたけれど(病気は悪くなるかもしれないけれど)飲まない」という選択肢もあるわけで、知的障がい者の場合とは違うように思うわけね。
 行動障害を伴うような人の場合、自分の感情・思いの表現が“ある種の困った行動”として表れている、と推測できるわけだけれど、彼らの行動の意味は、誰かがテレパシーで彼らの思いを捉えるでもしない限り、どこまでも“推測”でしかない。ただ、我々健常者から見て、その行動が少しばかり(あるいはとても)“困った行動”であるから、回りの人間はそれを何とかしようと思うわけで。それが結局は「薬を飲んでもらう」ことで決着する場合が少なくなくて。
 最終的には「“困った行動をせざるを得ない”本人もつらいはずだ。その辛さを和らげてあげたい。」と、家族も、医者も、そのように自分に言い聞かせてるのね。そして、本当にそれで良いのか、誰も確信が持てないまま、薬の作用ですっかり大人しくなり、ときおり穏やかな表情を見せる本人の姿を見て、「これで良かったのだ」と無理やり納得したりするのだ。
 本来は、自分でない他者の人生をコントロールすることなんて、誰にも出来ないはず。けれど、常識という社会の枠にはめないと生きていくことは難しいから、人は少なからず、自分でない何ものかからコントロールされて、常に何かを“奪われながら”生きているのではないのか。障がい者しかり。だから、生きていくことは辛いのだと思う。レナードたちはつかの間、目覚めた僅かの間に、生きる喜びとともにその辛ささえも十分過ぎるほどに味わったのではないか、そんな気がした。
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 閑話休題、というには話は相当ずれてしまったけれど(苦笑)、この映画の特に好きなところは、最初、石像のように固まって無表情だった患者たちが、文字通り生まれ変わって、生き生きとした表情で“つかの間の人生”を謳歌する中間部ね。グレタ・ガルボよろしく30年代のドレスで陽気にダンスするマダム、控えめな中にもしっかりとした意志を示す知的な女性、そしてシャイで利発な少年・レナード、時の流れの残酷さ(眠っていた間に30歳年をとっているわけだものね・・・)に翻弄されながらも、その「目覚めた」一瞬にそれぞれの個性が溢れんばかりに輝いて、本当に生きているって素晴らしいことだな、と思わされてしまう。
 そして、R・D・ニーロのいつもながら完璧な演技に加え、R・ウィリアムスはシャイな中にも瞳の奥に溢れんばかりの優しさを湛えた医師を、いつもより抑えた演技で好演していて、そんな名男優ふたりの共演が実に良い(俺、実は二人とも“タイプ”なのよね!)。
 最後にひとつ、人づきあいが苦手で植物を愛する物静かな医師であるセイヤーに対して、病気が再び進行して自由が利かなくなったレナードが、怒りに任せて吐くセリフが、俺にはグサっと刺さるのだ。
「俺は帰ってきた。30年間闘ってきたんだ。今も闘っている。でもあんたには何がある?孤独で、何もない生活。。眠っているのはあんただ!」
 “今を生きろ”。これね。あ、そういえばこれもロビンさん主演の映画のタイトルだわね(笑)。いまを生きる [DVD]
 映画はラストでセイヤー医師が少しだけ、自分の人生に温かさを加えていくようなエピソードが添えられて終わるわけだけど、そのさりげなく余韻を残す終わり方がまた良いのよね。
 思いっきり泣いて、温かい気持ちを取り戻したいアナタにオススメ。

 
〜10/20追記〜
 な、なんと、本日BSフジでこの映画が放映されました!私としてはたまたまウチにあったDVDを久しぶりに鑑賞して、その感動のまま書きなぐったような日記だったのですが、またまた変な予知能力が働いてしまったようで、びっくりです。さららさん、DVDレンタルさせてしまってごめんなさい。放映を知っていたらご案内できたのに・・・。