パンクチュアル

 去年、上海に旅行して、あ〜なるほどな、と思ったことがある。
 上海は都市化が進んでいてかなり地下鉄網が整備されているのだけど、どの駅にも時刻表というものが見当たらないのよね。その代わりに電光掲示板に「あと○分後くらいに次の電車が来ます」と表示されるわけ。たしか前にシンガポールに行った時もそんな感じだったように思う。
 まあ、表示の中身があと「30分後」とかだったら思いっきり脱力か、もしくはイライラ爆発だろうけれど、大抵は5分くらいの待ち時間で電車は来るので、時刻表は無くても、これはこれで逆に効率的なのかしら?なんて思ったのね。
 それに対してこの日本、とにかく時刻表ぴったりに電車が到着することが「ミラクル」として外国人から賞賛されてしまうくらい、時刻表が尊重される国。これは鉄道網が高度に複雑化している国だからこそ、というのは勿論あるのだろうけれど(同じ路線でも行先がさまざまだったりするしね)、根本的には「(時間に)正確さを求める=几帳面な」国民性に依るところも大きいのかな?なんて気もするのね。
 そういえば、高校の英語の授業で「punctual=時間に正確な」という英単語がいきなり登場したとき、ちょっとびっくりしたのを覚えてる。もしかしたら一つの単語になってしまうくらい、外国では時間を守るというのは特別な事なのかしら?なんて思えてね。「時間通りに」。これって日本では当たり前のことで、敢えて言葉にしない類いの事柄なのよね、たぶん。
 考えてみれば鉄道の最短経路と必要時間を一発で割り出すソフト「駅すぱあとヴァル研究所 駅すぱあと(Windows)2013年12月も、時刻表通りの運転がなければ無用の長物。日本人以外は使わないよね、きっと。最初に出来たときは、画期的!と感動したのだけど、振り返ればあれこそが日本人の度が過ぎた几帳面さに拍車を掛けたのと同時に、都会生活を回転が早くギチギチに息苦しいものにした元凶の一つかも知れないな、なんてことも思ったり。。。
 待ち合わせ場所に何時何分に着くには最寄り駅に何分までに行けばいい、じゃあ家を何時何分に出れば間に合うわね、それなら洗濯してから出ても間に合うわ、みたいなね。ついそんな風になってしまう。スケジュール詰め込み症候群、ね。
 その反面、少しでもダイヤが乱れて電車が予定通りに来ないと、すぐイライラ。しまいには駅員への暴行事件に発展したり。。困ったものよね。
 そんな私、たまには時間に縛られない生活をしたいな、なんて考えるものの、この神経質な街・東京に生まれ落ちて以来50年弱の間にどうやら「アバウト所要時間計算ソフト」が脳内ソフトとして出来上がってしまっているらしく、都内なら「駅すぱあと」なるものに頼らずとも、テキトーに家を出発してもなぜかほぼ“待ち合わせ時間ぴったりに到着”という、妙な特技を身に付けてしまっていたりもする。
 もしケータイも腕時計も持たずに電車の通っていない南国の離島に旅したら、きっとリフレッシュできるのだろうな、なんて憧れを抱く一方で、もしかするとやっぱり太陽の微妙な傾きに無意識に反応して時間通りにあくせくと動き回ってしまうのかしら、なんてことも考えてしまう私。。日本人ですわ。