中年ギブス

 大掃除しなくちゃ。でも。いざ年末の休みに入ったとしても、きっとそんな暇はないわ!今のうちに出来るところから、しておかなくちゃね・・。
 珍しく時間に余裕があった土曜の朝、そんなことを思い立ったのが、いけなかったのか。いや、元々、そういう筋書きだったのか。
 脚立に上って、雑巾で本棚の上のホコリを拭き終えて、脚立を下りようと右足を降ろそうとしたとき・・・あ!
つるっと、踏み外して、仰向けに、床に落ちた俺。
 そのとき、身体を支えようと、反射的に右手を床に着いていたらしい。
 立ち上がって、ジーン・・・と痺れている右手を見たら、ぐにゃっと掌が変な方向を向いていて・・。
 そう、手首を骨折!しちゃったのです。。。
 その後のことは、あまりに必死だったのでよく覚えていないのだけど、近くの病院に駆け込んで、救急在来でレントゲン撮影やら、4人がかりで手足を押さえつけられて変な位置にズレてしまった骨を“ギュ~ン”と引っ張り戻す“拷問”、もとい、「施術」をしてもらったりして。そして気が付いたら、右手首から肘までギブスでガッチガチ、それを首から三角巾で吊るという、誰から見ても「大ケガしました」状態になっており・・。
 
 ワタシは右利き。そして独り暮らし。
字は、書けない。箸も使えない。車の運転も、できない。それは覚悟するとして・・・。
仕事はどうする? 食事はどうする? 年末に向けて予定していたアレやコレはどうする? ・・右手がこの状態で・・。 
病院から帰る道すがら、トボトボと歩を進めながら、ワタシを待ち受けている近未来を想像して、愕然とする。
 
 そして、家に帰ってまず気づいたこと。
 シャツが・・・脱げない・・・。
 そのとき着ていた長袖シャツの袖は、右腕にガッツリ装着されたギブスの端の、肘のあたりにまくり上げられていて。これ、どう考えてもギブスを取らない限り脱げないじゃないの。
 まあよくよく考えれば、看護師さんたちも上半身裸の中年ギブス男を病院から送り出すわけにもいかなかっただろうし(笑)、この理不尽な状況を恨んでも仕方ないわけで。
 出来ることは一つ。お気に入りだったこのシャツ、切り裂くしかないわ、と。押し入れから裁ち鋏を持ち出して、いざ!切るぞ、と決心した途端、今度は、あ、左手じゃ鋏が使えない(笑)!と気づいて。結局、鋏の片方の刃をカッターのように袖にそおっと通して切れ目を入れて、切れた端を口で咥えてビリビリッ!と(まるでランボーのように)、着ているシャツを破り捨てた俺。わお、ワイルド。
 そこから、吹っ切れたのだ。
 もう、この現実を受け入れて、この経験を楽しもう、左手だけで、生活してやろう、とね。
 こうして、独身中年ギブス男のひとり生活が始まったのだ。
 まず、揃えたものは、左手用の鋏と、厚手のウェットティッシュ。とにかく、片手で食事をしようとしたら、インスタントものに頼らざるを得ないわけだけど、それはことごとく「袋を開ける」作業が付いて回るにことなる。たとえば味噌汁。ご丁寧に味噌と具が別の袋に入っていたりする。もちろんそれぞれ袋には「切り口」なるものがついているけれど、これを片手で開けるのは至難の業なのだということが、やってみて初めてわかるのだ。そして、なんとか開けられたとしても味噌がドロッと溢れてしまったりするので、ウェットティッシュは必須、というわけ。手を洗うのさえ片手では満足にできないのだから。
 それらの、利き手が使えない事で初めてわかる、生活する上での難題の数々。
 たとえば、左腕の腕時計が外せないとか。左指の爪のササクレが痛くても、切れないとか。トイレットペーパーが切れない、ほどけた靴紐が結べない、タオルが絞れない、ネクタイが締められない、折り畳み傘が畳めない、アイフォンの充電コードが嵌められない、などなど。
 そのうち、そうして次々と押し寄せてくる難問を自問自答しながら解決していくことが、いつの間に自分の生き甲斐のように思えてきたのだから、不思議でね。
 腕時計は口で(正確には歯で)外して、その後は絶対に腕にはめずに「懐中時計」にすればいいし。トイレットペーパーは、引き出したペーパーを膝の上に置いて、ミシン目を左手の親指と人差し指で広げるようにして切ればいいし。タオルは風呂場のタオル掛けに引っ掛けたまま左手でねじれば何とか絞れるし。アイフォンは膝に挟んで充電コードを差し込む、とかね。
 そう、何より俺は、左手が動くし、足も頭も変わらず動くのだ。それだけでも、貴重なことのように思えてね。左手ちゃん、いままで蔑ろにしてきてごめんなさい、なんて。
 
 とはいえ、もともとがセッカチな俺。
 週明けに再通院したときに、先生から早い社会復帰のために骨折部をプレートで固定する手術を勧められて、即答で「お願いします」と。(苦笑)
 そんなわけで、骨折から10日、さすがに手術直後は患部が痛くて眠れない日もあったものの、痛みも峠を越したいま、右手首はギブスから包帯に変わり、こうして両手でパソコンのキイボードを打つところまで復活をしていまして・・・。医学の進歩に感謝するとともに、五体満足でいることの有難さをしみじみと感じているところであります。
 そして今回の経験を通じて改めてわかったこともたくさんありまして。たとえば片手ではコンビニのレジで小銭を出すのにもえらく時間がかかったり、自動改札の前でポケットからICカードを出すのに手間取ったり、食事や着替えにもいつもの倍くらい時間がかかったりするわけで、たとえ目の前でノロノロやっている誰かを見ても、今までのようにイライラしたりせずに、思いやりをもって「待ってあげる」ことが、せっかちな自分には必要なのだなと気付かされたの。自分の物差しばかりで見ていたらダメなのだな、とね。
 あとは、何といっても、人の優しさよね。それは改めて感じた。病院でサインが必要なときに「私が代わりに書きましょうか?」と言ってくれた窓口の人。職場でコートがうまく着られないときに、さりげなく手助けしてくれた同僚。コンビニのレジでお釣りを財布にしまうのに手間取っていたら、代わりにワタシの財布に直接おカネを入れてくれた店員(それも、硬貨を数えて見せながら)。などなど。右手を三角巾で吊っているというそれだけで、色々な人の優しさに触れることが出来て、「この国も捨てたもんじゃない」と改めて思えたのだ。(ギブスが取れたいま、さすがに誰も手を差し伸べてくれなくなったけどね。当たり前か。)「俺は誰の助けも借りずに独りで生きて行く」なんて、やせ我慢を言うのは勝手だけど、結局そんなことは五体満足だからこそ言えることなのよね。
 そんなわけで、師走に入っての激動の数週間。新年を迎えるにあたり厄落としとも言えるし、何だか右腕にチタンのプレートが入っただけなのに、少しハイスペックな自分に生まれ変わったような(笑)、不思議な年末を迎えております。