荻野目洋子「VERGE OF LOVE」

hiroc-fontana2006-05-04

 80年代中盤、86年から87年ごろ。
聖子が出産休暇を機に活動を抑制し、WINKや静香姐さん・美穂・ナンノはブレイク前夜であり、アキナが孤軍奮闘していた時代だ。アイドル界は「おにゃん子」が席捲。丁度、音楽フォーマットがアナログレコードからCDに切り替わる時期にも当たっていて大ヒットが生まれない時代でもあり、いろんな意味で、音楽界の「端境期」だったのかもしれない。
 ヨーコ・オギノメちゃんはそんな端境期時代に、確かにトップ・アイドルとして君臨していた。「ダンシング・ヒーロー」「六本木純情派」のロングヒットで毎週のように「ザ・ベストテン」に出ていたし、名曲「さよならの果実たち」ではチャートトップにまで上り詰めた。アルバム「ノン・ストッパー」は87年のアルバム年間チャートで堂々の1位を獲得。堂々たる成績を残していたのである。
しかし。何故だろう。俺のようにJポップ界に偏見を持たず満遍なく見ていたつもりの人間をもってしても、ついそんな彼女の偉大な業績を過小評価してしまいがちなのである。感想を言えば「そういえば当時、結構人気あったよね、オギノメちゃん。」程度の感じ、なのだ。
 何故だろう。おそらくまず第一に、彼女のユニセックス的な少年っぽいルックス(それを都はるみは「ピノキオ的」と称した)や、贅肉を殺ぎ落としたように無駄が無くシャープな声質が、ギラギラした芸能界に媚びるような煩悩世界とは、全く正反対の印象を我々に与えるからなのではないだろうか。つまり悪く言えば華がないとか、スター性の欠如、ということになる。実際に当時からテレビで見る彼女の可愛いそばかす顔からは決してスターのオーラが感じられなかったような気がする。むしろ、にじみ出る性格の良さ、庶民性こそがオギノメちゃんの最大の魅力であり、多分、当時の彼女は「誰からも嫌われないアイドル」としてトップにいた、ということなのではないか、と思う。そして音楽面では、ユーロビートなど最新の流行音楽と正統派歌謡曲とを、日本のリスナーにとって最も心地よい割合でブレンドして仕上げたかのような、耳なじみのよい作品たちに恵まれていたこと。そう、キラキラしたアイドルスター達の中では地味メな印象のオギノメちゃんがトップ・アイドルになれたのは、当時の時代背景の中で生まれたトップ・アイドルの「空席」に、最も「無難な人材」として選ばれたのが彼女だったのだ、という解釈がイチバンしっくり来るような気がするのである。
 88年12月発売のアルバム「VERGE OF LOVE」は、ホイットニーやマライアを手がけたグラミー賞プロデューサー、ナラダ・マイケル・ウォルデンの全面プロデュースによる意欲作。もちろん海外録音、全編英語詞。確かアルバムの帯コピーは「ポップスの宝物」だったと記憶しているが、それに恥じない内容の作品だと思う。何より、最初に聴いた一瞬「これが荻野目洋子?」と耳を疑うような、ナチュラルでいて変化に富んだ彼女の声とボーカルが良い。低音では叩きつけるような、高音では逆に腹の底から搾り出すような、それまでの彼女の特徴的な発声とは明らかに違っている。これを一部では「英語の発音をアメリカ人にいじくり回されたあげく本来の彼女の持ち味を失っている」と辛口の評価で迎えた向きもあったようだが、俺は、このアルバムのオギノメちゃん、大好きだ。大人っぽいブラコンのタイトル・チューン「Verge Of Love」ではこれ以前の彼女では聴けなかった高音での自然なファルセットがとても心地良いし、キメ細かいビブラートや音の終わりで聴かせる吐息などは、声量の足りなさをカバーして余りあるセクシーな魅力を醸し出す。一方、彼女お得意のノリの良いダンス・チューンは本来のシャープな声が冴え渡って、見事な出来だ。中でも「Wicked」がとてもカッコよくてオススメ。それ以外にもOh,Babyの掛け声やLa,La・・・のコーラスがバッチリな「Is It True」、全編ウィスパーボイスで決めた「Dizzy,Dizzy,Dizzy」などが良い出来。
 このアルバムを聴くと、やっぱりオギノメちゃん、いい子なのね、と思えちゃう。郷に入れは郷に従え、じゃないがとにかくホントに素直に、プロデューサーのナラダさんの言うとおりに頑張ったのね、という感じなのだ。たぶんこれが「全米進出」に色気バリバリの誰かさんだったら、自意識が邪魔して成功しなかっただろうと思う。「素材」に徹し、すべての雑念を排してナラダプロデューサーを信じ、その期待に一心に応えた、そんな彼女の、真珠のように純粋に輝く真面目で真摯な思いが結晶した、宝箱のような作品集なのだ、と思う。そう、だからこそ「ポップスの宝物」。
 ちなみにこのアルバム、ナラダPは全米発売を希望していたそうな。その後、ある実力派黒人女性シンガーがこのアルバムの収録曲を自身のアルバムで歌っていたのを偶然耳にしたことがあるのだが、オギノメちゃんの足元にも及ばない凡庸な出来であったのには驚いた。オギノメちゃん、本当はタダモノではなかったのかも。いろいろ書いたけど、それが今回の結論なのだ。