筒美マニアック!〜素晴らしき難曲たち

 今日は昭和(+平成)の大作曲家、筒美京平先生を取り上げさせて頂きます。
 60年代後半の作曲家デビューから2010年代の今日に至るまで、40年超に亘って膨大な数のヒット曲を生み出してきた、別名「ヒットマシーン」。それが筒美さん。チャート100位内にランキングされた曲が500曲超、うちトップ10ヒットが200曲超、なんていう驚異の記録もさることながら、何よりスゴイと思うのは、彼がメイン作家となったことで活躍の機会を得たキラ星のごとき歌手達の錚々たる顔ぶれね。
 作家と歌手の関係で言えば、例えば百恵&宇崎・阿木コンビ、PL&都倉・阿久悠、静香&後藤次利アムロ&コムロ、といった名コラボはいつの時代にもあるけれど、どれも瞬間最大風速で終わっている感じなのよね。でも筒美先生の場合、彼が手がけたスターはといえば、ミコ・いしだあゆみに始まってシンシア、ヒロミ・ゴー、ゴロー、宏美&裕美、マッチ、トシ、キョンキョンに伊代ちゃん優ちゃん、ナオナオ、少年隊、CCB、斉藤さんにミポリンにヨーコ・オギノメ、そして本田美奈子、果てはトキオにキンキにショコタンまで・・・と、枚挙にいとまがない、それも全時代にわたってね。ホントすごいわ。。。特筆すべきは、ヒロミとゴロー、宏美&裕美、マッチVS俊ちゃん、といった同時代のライバル歌手達に同時期にタイプの異なった曲を提供して、両方を成功させちゃう、という離れ業を(何度も!)やり遂げちゃってることね。まるで大事に育てた闘犬を2匹戦わせて、それを観客席から楽しんでるヤクザの親分みたいね(ワケわかんない喩えかしらね 笑)。
 そのうえ、お気に入りの歌手にはアルバム曲まで何十曲と提供して、まるっきりプロデュースまでしちゃってるんだから、そのパワーと創作意欲からして、どの時代を見渡しても筒美先生の右に出る作曲家はまず、いない。
 で、そんな筒美先生なんだけど、多くの中から幸運にも先生に目をかけられたお気に入りの歌手たちに提供された膨大な曲を見てみて、hiroc-fontana、ちょっと面白いことに気がついたのだ。それはね、「え?こんなのあり?」みたいな、ヒット狙いの路線からあまりにも外れたビミョーな曲や、ライトなファンはちょっとついていけないんじゃない?みたいな難解な曲(冒険曲)が混じってる、てこと。それも、アルバムの1曲ではなくて、ローテーションでリリースされたシングル曲の中に、かなりビックリな冒険曲をもぐり込ませちゃってるのね筒美センセー。
 前置きが随分長くなったけど、今回はそんな“センセーの冒険曲”をピックアップして、ちょこっと筒美先生のおアソビに付き合わせて頂いちゃおう、という企画です。ただしそれは、筒美センセーのお眼鏡にかかった歌手だからこそ与えられた特権、ともいうべき、師弟の信頼関係の上に立ったおアソビでもあって、どの曲も名曲であることには間違いないのですよね。。。
 さて、まずは、筒美先生にとって最初のディーバ、いしだあゆみさん。筒美さんの出世作でもある「ブルーライト・ヨコハマ」も当時としては斬新なヒット曲だったらしいのだけど、その次にリリースされたのがブッタマゲのR&B歌謡、「涙の中を歩いてる」(1969年)。こちらはミリオンヒットの余裕から生まれたオアソビね。今聴いてもゾクゾクするほどスリリングな名曲。

 そしてヒロミ・ゴー。もともと人間離れしたアンドロイド的キャラで人気を博してきたヒロミ。そんなヒロミに対しては、ど真ん中ソウル「20歳の微熱」(76年)だとかプログレロックな「真夜中のヒーロー」(77年)とか 当初から“アイドル”の範疇を超えたマニアックな曲をぶつけてきた筒美先生ではあるけれど、79年の脱アイドル期に提供したこの曲は、意味不明な詞(阿木耀子)とともに“センセー、オアソビが過ぎやしませんか?”と問いたくなるような内容になっちゃってます。ホント、どこがサビなの?何をとっかかりに聴けばいいの?みたいなチョー難曲です、「ナイヨ・ナイヨ・ナイト」(1979年)。

 ヒロミ・ゴーとはビジネスライクなお付き合いっぽいけど、ゴローに対して筒美先生は本当に愛情をかけて育てていたような気がする。デビュー当初の1971年から80年代中盤まで、関わった期間でも提供曲数から言っても、それは間違いないでしょう。そんな野口五郎に対して、彼の“ギター少年”としてのオアソビに、筒美センセーの方が付き合ってあげました、みたいな曲がこちら。「女になって出直せよ」(1979年)。これはフュージョンです。4小節ごとに転調なんて、ファンを無視したオアソビとしか考えられない曲だけど、どこか師弟でふざけ合っているみたいで、ちょっと微笑ましかったりもする。

 お次は前回に続いて登場、の太田裕美さん。「恋愛遊戯」(1977年)です。「しあわせ未満」で裕美ファンになった当時小学生の俺は、それに続いてリリースされたこの曲を始めて聴いて「???」。いくら聴いてもその良さがわからなくて、当時は大っキライな曲だったのよね(笑)。でもこの曲もよく聴けば、太田裕美さんだからこそ歌える、裕美さんでしか歌えない、そんな名曲だと、今ならよく分るのです。メロディーは難解だけど、いつまでも新鮮でオシャレなこのサウンドは、ちょっと時代が早すぎたのかも。
] 
 岩崎のヒロミ姐さんには、まるで彼女の類まれな歌唱力を試すかのようにデビュー当初から数々の難曲をぶつけてきた筒美先生。筒美学校から卒業しての大ヒット「万華鏡」(作曲:馬飼野康二)のあと、久々に筒美学校を訪れたヒロリンに対して、センセーは労いも甘い言葉もかけず、さらにフクザツ怪奇な難曲を用意して待っていました、みたいな・・・(笑)筒美先生の底意地の悪さが垣間見れる(?)曲、「スローな愛がいいわ」(1980年)。怒涛のメロディーの畳みかけに混乱します。

 オマケ。この人は筒美ファミリーではないけど、小柳ルミ子たん。ルミ子サイドからの「筒美先生に曲を書いてもらいたいの〜!」という再三のラブコールに応えた結果、筒美さんとの初コラボでいきなり“ユー、じゃあ歌ってみれば?”とばかりに放り投げられた(笑)超ド級の難曲がこの曲、「来夢来人」(1980年)。ルミ子たん、持ち前の根性で歌い切ってるけど、この音符があちこち飛びまくりのメロディーは“イジワル”としか思えない(笑)。

 その後80年代の筒美作品は全体的に複雑化・難曲化していって、たとえばマッチ「スニーカーぶるーす」とか優ちゃんの「夏色のナンシー(→過去ログ)」とかミポリンの「ツイてるねノッてるね」とか、みんなそれぞれ小難しいメロディーの作品なんだけど、この辺になると最早上述の歌手たちとの“師弟関係”のような人間的な繋がりは伺い知れなくなっていくのよね。それは筒美京平さんと歌手たちの世代的な隔たりが出てきたことが大きいのかしらね。

 さて、これほどヒットを量産した筒美京平先生も、時代の主役だったモモエさんセイコさんには結局、1曲も提供していないのね。彼女たちとのコラボもちょっと見てみたかった。それだけがちょっと残念。最後に、こんな曲、聖子さんに歌ってほしかったな〜みたいな筒美作品の80年代の隠れた名曲を。まるっきり、マーヴィン・ゲイ「セクシャル・ヒーリング」ですけど(笑)・・・佐東由梨「ロンリー・ガール」。難曲です、こちらも(笑)

筒美京平関連過去ログ〜
筒美ソング マイ・ベストテン 〜その1
筒美ソング マイ・ベストテン 〜その2
わが心の筒美メロディー