考察「お役所文化」〜あいまいな善男善女

 仕事上、いわゆる「お役人」との付き合いが多い。現在の上司もいわゆる天下りである。
 彼らと仕事をしていて、例えば社会保険庁の誤魔化しだとか無駄遣いだとか、岐阜県の裏金だとかが「いかにもありえる話」のように思えてしまうから、情けないといえば情けない話だ。断っておくが俺はここで彼らを告発しようとして書いているわけではない。実際、つきあいがあるのはほとんど地方公務員ばかりで、その大部分は真面目でむしろ不器用なくらいに職務に忠実な人びとのように思う。元凶は、お役所独特の「文化」であり、それは構造的な問題なのである。
 ①まず驚くのは、人事の回転の速さだ。とにかく担当者が数年のサイクルでコロコロ変わるのである。これはおそらく、公(おおやけ)の仕事をする上で、ひとつの部署に特定の人物を固定化することは贈収賄の温床にもなり易く、好ましくないとの判断によるものではないかと推測する。しかし、これこそが元凶のひとつ。どうせ数年で部署を変わるのだ、と思ったら、その仕事に対する使命感や責任感は十分に育たない。その数年間は厄介事をなるべく避け、平穏無事に(キャリアに傷をつけずに)過ごしたい、自ずとそうなってしまうはずだ。だから、彼らは難しい判断は極力避け、無難に事を片付けようとする。できれば、先送りしようとするのだ。そして、何か責任問題が発生する頃には、担当者は、居ない。そのとき責任をとる立場の者もいわば「事故にあったような」意識でしかないから、その問題について真剣な反省など無いのだ。勿論、同じようなことは民間の会社でもあり得ることだが、民間企業は営利目的である以上、問題を真剣に反省して解決しない限り、顧客離れが起こり死活問題となる。しかしお役所はそうではない。いくら信用が堕ちても、潰れる事はないのだから。
 ②そしてもうひとつ、お役所の無責任体質に拍車をかけるのが、予算。お役人はまず予算取りに命を懸ける。そのために大切なのは「実績作り」だ。ある程度使った実績がないと、翌年の予算は削られてしまう。それを防ぐには、要求した予算はちゃんと年度内に使わないといけない。年度末が近づくと、急にお役所周辺は騒がしくなる。急に出張が増えたり、庁舎のメンテナンスが入ったり。道路工事が急に増えるのも、それと関係するかもしれない。予算を無駄なく使う、つまり、お金をできるだけ余らせないようにすることが評価につながる世界が、お役所には確かにあるのだ。
 ③書類至上主義、というのも困った慣習のひとつ。「書類に不備があるから払えません!」「日付が(印鑑が)不正だからもう一度書き直して来てください!」これはお役所と保険会社の常套句だが、所属部署がコロコロ代わるお役人としては、書類の数々はそれだけが唯一の「業績(証拠)」になるわけで、必死になるのも無理は無いのである。後々になって後任から「この問題の責任はあなた」と言われないためにも、決められた書類はきっちりと揃え、尚且つ後々問題になりそうな表現はことごとくカット。そして、実態とはかけ離れた美辞麗句ばかりが並んだ、内容の無い、大量の書類が倉庫に眠ることになるのである。
 こうして(①②③)、お役所では、一旦決まった道路の計画は誰も止めようとはしないし、建てると決まった建物はどんなに反対があっても建てることになるのだ。(だって、前任者が責任を持って決めたことだし、予算がついているし、なにより決裁書類にも「住民に最大限の利益をもたらす」って書いてあるんだから!)そして今日も、真面目な、善男善女のお役人たちによって、無自覚なまま、無責任行政は続いていくのだ。