鈍感力はどれほど凄いのか

 安倍くんは最初から「器」じゃなかったのだ。大体において、あの総裁就任時の意味不明な演説(「しっかり、しっかり...」)を聴いた段階で、彼のどうしようもない「凡庸さ」は誰の目からも明らかだったはずだ(そうでしょう?)。国民はとりあえずそれを「大目に見た」のだ。若いからしょうがない、と。
 俺はアンチ与党、アンチ安倍である。そんな俺でも今の安倍内閣の満身創痍の状況を見て、あまりすっきりとした気分にはなれない。安倍くんが首相ではこれが当然の帰結、としか思えないからだ。それよりも、彼を総裁に選び、思うがままに彼を利用し尽くしている取り巻きたちが、無能な安倍くんひとりに責任を押し付けて「のうのうと」しているのを見ると余計に腹が立つばかりなのだ。
 だから、困難な状況をすべて安倍くんに押し付けたままさっさと辞めた小泉が言い放った、「鈍感力」発言はどうしても我慢がならなかった。
 いわく「目先のことに鈍感になれ。『鈍感力』が大事だ。支持率は上がったり下がったりするもの。いちいち気にするな。(毎日新聞より)」。
 それを繊細で敏感な人が言うなら理解もできよう。
 しかし小泉さん、あなたの口からそれを聞きたくなかった。
 これを「小泉さんらしい発言だ」などと、相変わらず持ち上げるマスコミもおかしいし、これに影響されて元ネタの本・渡辺氏のエッセイ「鈍感力」を嬉々として買う人々がいる(売り切れ店続出とのマスコミ報道)としたら、それもやっぱりおかしい。
 モラルハザードが進んでしまっている今の日本で、さらに誤解された鈍感力(=自分が正しいと思ったら他人の目をを気にしないこと)が横行したら、一体この国はどうなってしまうのか。
 彼(小泉)が鈍感だったおかげで日本にもたらされた成果がどれほど凄いものだったかを知りたい人がいるのなら、本を買う前に是非以下に紹介する↓ブログを見て頂きたいのだ。
リンク とむ丸の夢