モモエの中のセイコ

SQUALLベスト・セレクション(1)


















(昨日の日記の続きです。タイトルに「その一」と入れ忘れちゃったので、変形タイトルです。)
 たとえば、百恵さんの代表曲は?と聞かれると「横須賀ストーリー」、「秋桜」、「プレイバックPart2」など、いろんな答えが出てくると思う。(ちなみに俺の中では「夢先案内人」かな?だって好きなんだもん。)
 同様に、聖子さんの代表曲は?と聞かれれば「青い珊瑚礁」、「赤いスイートピー」、「Sweet Memories」、などなど、やっぱりいろんな答えが出てくるだろう。(ちなみに俺の中では「小麦色のマーメイド」かな?だって、好きなんだもん。いいじゃん。)
 そう、ふたりの大スターは、そのキャリアの中で何度もピークを迎えている。それゆえ代表曲も複数持つことになるのだ。ふたりのキャリアの共通点を追ってみよう。
1.ともにデビュー2作目でブレイクしてトップテン入り。
 百恵さんは「青い果実(73年)」、聖子さんは「青い珊瑚礁(80年)」。
2.夏の曲でアイドル時代のピークを迎える。
 百恵さん「ひと夏の経験(74年)」、聖子さんは「夏の扉(81年)」。
3.最重要作家と出会ったことがターニング・ポイントになる。
 百恵さん「横須賀ストーリー(宇崎・阿木:76年)」、聖子さんは「白いパラソル(松本:81年)」。
4.最重要作家を中心に、大充実期を迎える。
 百恵さんの充実期は77年、「夢先案内人」「イミテイション・ゴールド」「秋桜」と50万枚級の大ヒット連発。アルバムも『百恵白書』『GOLDEN FLIGHT』『花ざかり』と傑作を連発。聖子さんの充実期は82〜83年、「赤いスイートピー」「渚のバルコニー」「天国のキッス」「ガラスの林檎」とこちらも50万枚級の大ヒット連発。アルバムでは『Pineapple』『Candy』『ユートピア』『Canary』とこれまた2年にわたり傑作を連発。
5.安定期に入り、様々なバリエーションの中で国民的人気を得る。
 その後、百恵さんは78年に「プレイバックPart2」「いい日旅立ち」という代表曲を発表。アルバムでは爛熟期の傑作『曼珠沙華』のほか、ロックテイストの『メビウス・ゲーム』や多彩な作家による『This is my Trial』など。一方の聖子さんは「Rock’n Rouge(84年)」「天使のウインク(85年)」などが年間トップテンに。アルバムでは矢野顕子作品を取り上げた『Windy Shadow』、女性作詞家と組んだ『The 9th Wave』、出産後の母性愛に満ちた『Supreme』など充実した作品が続いた。つまりは、大充実期後の二人の活動は、超安定期に入ったからこそのバリエーション・余興だったと捉えてもいいと思うのね。
 ね?似てるでしょう?もちろん、聖子さんの場合はキャリアの途中で結婚・出産があったり、百恵さんの場合は引退に向けてのイベントがあったりで、違いはあるけれど、8年間の二人の大スターの歩みは、驚くほど符合していたのだ。大スターキャリア8年説。どうでもいい話だったかしら・・・。
(あとがき) ちなみに、大ブレイク寸前の百恵のアルバム『横須賀ストーリー』と聖子の『風立ちぬ』が、構成的にも、本人が声変わりを迎えていたというタイミング的にも、非常に似通っているのも興味深いところだ。アルバム『横須賀ストーリー』は、初めてA面全曲を宇崎・阿木コンビで固めた作品で、声が太くなる前の百恵さんの艶のある美声が堪能できる1枚。聖子さんのアルバム『風立ちぬ』はA面が大滝詠一によるナイアガラサウンドで統一されており、絶妙にハスキーさがブレンドされた聖子さんの声が、キュートさと切なさを行ったり来たりの七変化の様相で、後にも先にもこのアルバムでしか味わえないオンリーワンのボーカルである。ともにトップスターの大ブレイク前夜の輝きを凝縮した名盤だ。オススメ。風立ちぬ横須賀ストーリー(初回生産限定盤)(紙ジャケット仕様)